関行男記念館

関行男海軍中佐のご事績に触れる

 初めて訪問した愛媛県西条市の関行男海軍中佐の慰霊碑は、その慰霊碑の大きさとともに背後の「ご神木」に迫力を感じました。大樹にも生命あり、慰霊碑を護るような存在に見えました。夏は暑い日差しを遮り、風雨からも覆いかぶさるような護りの姿に見えたのです。
しかし今やその生命は絶たれ、今は大きな切り株が残るだけで見る影もありません。せめて、このサイトで当時の樹勢の立派さを偲んでいただければと思います。
そして「行けるときに」では跡形もなくなってしまうこともある、ということも感じるのです。

空気に触れて、当時のことに思いを馳せるための見学案内

このページで関行男海軍中佐ゆかりの地や資料がご覧になれる場所をご紹介します。

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ご紹介の画像や遷移先は当該施設ではなく、近辺にあるものや関連施設のものがあります。所感に渡る部分は訪問した当時(2022年前後)の個人的な感想です。

状況や展示は変わっていくものですので、ご訪問される場合は交通状況含め最新の状況をお調べください。

関行男海軍中佐ご慰霊碑(愛媛県西条市)

西条市立西条南中学校の南に、関行男海軍中佐と敷島隊の隊員様方のご慰霊碑があります。地図では西条大町郵便局に面した道を南下していくと見つけやすいと思います。この郵便局に隣接した西条市立大町小学校は、関行男海軍中佐の母校でもあります。
わたしが残念に思うのは、監獄のような堅固で高い柵で取り囲んで余人近寄り難くしているうえ、石碑の前にある個人のご慰霊碑そのものが爆弾の形状であること。
柵は高いうえに隙間も狭く、せっかくのご慰霊碑でありながら訪問や参拝を拒む圧迫感があります。方々慰霊碑を回りますが、このように厳重な柵が設けられているのは、わたしは見たことがありません。
また、特別攻撃隊の隊員となられた方々は爆弾を抱え込まされて苦しく亡くなられたのに、ご慰霊碑をあえて爆弾の形状に製作して、その「爆弾に名前を刻む」のが残酷に思えてなりません。彼らは人間であって爆弾ではないし、爆弾として生まれたわけでもないのです。
慰霊碑が建った頃の写真を国立国会図書館で見ましたが、当時のように牢屋のような柵や爆弾の慰霊碑が取り払われ、建立当初の純粋な慰霊碑にいつか戻ってほしいと願います。
【公共交通機関・付近情報】
伊予西条駅からせとうちバス 常心(じょうしん)バス停下車、徒歩5分程度
せとうちバスはICカードなどは一切利用できず、基本的に現金のみ、高額紙幣は両替できません。
忠霊塔横にあったお手洗いは西条市が撤去してしまいました。背後の加茂川沿いの土手を南下して、武丈(ぶじょう)公園まで行かないとありません。交差点そばにファミレスジョイフルがありますので、ここで食事をとっていただいてお済ませになるのがよいかもしれません。大分市が本社で、九州ご当地メニューがおすすめです。
またお供えの酒類の購入・コンビニは、バス停からファミリーマートやローソンまで300m前後離れています。駅周辺でご用意されるのをおすすめします。
【遷移先について】
この項目は、クリックすると市作成の「新西条市のいいとこいいものさがし(西条南中学校区)」に遷移します。ご慰霊碑の場所は27ページ青⑥、説明は33ページですのでご覧ください。