戦争の本質
人間らしい生き方をすることを奪われた方々はどう思うだろうか
一生懸命産み育てた息子が、大勢爆弾を抱えさせられて殺された、という事実。
日本をはるか遠くに思いながら、お母さんや故郷を思い描き、たった一杯のきれいな水もたった一個のおにぎりすら口にすることができずたくさんの兵隊さん方が飢えて亡くなられた、と言う事実。
多くの庶民が、外国の人たちも含めて「戦争を決めた人間」がいたことで、本来の人間らしい生き方をすることを奪われて殺されたということ。
国体の護持といい、戦争に勝たねばというけれど、国体が亡びようが、負けようが、自分と自分につながる人たちが生き、なんとか歯をくいしばっても前を向いて生きていられる方が、よほどよほど幸せだと思うのです。
戦時中、たくさんのお母さん方、また結婚されて奥様になられた女性方にとって、戦争に負けてでも息子が、旦那さんが帰って来てくださる方がよほど幸せだったと思います。
そして、仮に今戦争が起こっても、息子さんや旦那さんが兵士となって家を出たならば、同じ気持ちだと思います。生きて帰ってほしい。
なんてことを言うんだ、と言う人もいるでしょうが、裕仁が戦争を決めた結果、実際にこの国は大負けしました。
それでも、この国が存立したのは、軍人さん方兵隊さん方が自らの生命と引き換えに、この国に生きる将来の国民のことを思って、裕仁の尻拭いをしてくださった結果にほかなりません。
そして裕仁の尻拭いをしてくださった彼らは、庶民なのです。天皇や皇族、上級国民やそれにおもねる者たち、戦争で大儲けする者どもは、自分たちの先祖に死を命じた側、殺した側なのです。
偉い人間だけでクニはあり得ません。ここに気がつけば、クニに人間が生きること、「死滅しない」と言うことが最も大事であるし、国民もただ国家の維持のために生かされている存在であってはならない。
人生を通して苦難に挑み、たくさんの経験を積んで霊界へと去る。それでも、君主たるもの政府たるものは、国民が幸せであるように、「この国に生まれてよかった」と思えるようにする務めがあり、その役に当たるものはその務めのために生かされ、人生が試されているのです(誰一人として権力に目がくらんで死後「認められる」者はいないでしょう)。
停戦も休戦も終戦もない戦争は絶対にない
戦争が始まっても、絶対にその先に「停戦」「休戦」があり、「終戦」がある。
国民を疲弊させ、国庫を枯渇させてでも戦争をするのに何の意味があるのか。
勝とうが負けようが、他国と外交をし、物資や資源をやりとりせねば、つまりは外国と仲良くしなければ、絶対にやっていけない世界なのです。この地球自体が。
そうすると盛んに「勝つこと」ばかり一生懸命だった明治以降の戦争は、何だったのか。
為政者の、東京の中心にいて庶民と隔絶された皇統、とくに400万人も国民を殺したのは、単に裕仁の機嫌を良くするためだけのことだった、というふうにもとれるのです。
戦後に生まれたということは敗戦国で生まれてきたことであるし、それでも今生きていることを思えば、極論、生きていれば国が勝とうが負けようが、関係がない。
ただ、君主が国民を愛おしみ、大事にして、国民が満足して「この国に生まれて良かった」と思って世を去ることができる。そのためには、生命を大切にする。自分の人生も人様の人生も大切にする。だから決して戦争は起こしてはならないし、生まれてよかった、という国であってほしい。
そういう理想を思い描きながら、ひたむきに努力するような人間こそが皇統たる資格があるべきであるし、そうであってほしかった、と思うのです。その意味では、もう裕仁がこの国をこれ以上もない国難に導いたうえに、国民の死体を累々と積み上げた。
その結果、皇統が皇統たる資格は失われているのです。
生きていくための最低限の食べ物すら得られない時代に、国民が皇居で見たもの
明治以降宣戦布告を出し、庶民を犠牲にし続けるような人間が皇統であった、そしてその血を引いた人間が、現代まで国民の上に重しのようにのしかかっていること自体が、この国の不幸でしょう。
裕仁とその周りの人間、皇統とその周りの人間は、本人はおろか親も家族、親戚までもがみなみな、生命が危険に晒されることなく、お腹いっぱい食べて、不自由なく生活ができる。
家族が奪われて殺されてしまうことに怯えながら生活することもない。
親を亡くし、ひもじくて苦しい子供達を片目に、日本の逸品をお付きのコックが料理し、食べきれないと言ってたくさん残飯を残す。
戦後すぐに食糧メーデーがあり、「このままでは飢えて死んでしまう」と裕仁に窮乏を訴えるために押し寄せた民衆が「天皇はどんなものを食べているか見せてください」と言い出し、とんでもない光景を目にする、このようなことがありました。
宮内省ののちの発表では、120人分の麦飯とマグロ半身、カレイ15匹、スズキ1匹、サケ4匹のほか、イモ、大根などがあった。一方、デモ隊側によると、冷蔵庫には目の下1尺(約30センチ)ぐらいのヒラメ30~40匹、大ブリ5~6匹、牛肉5~6貫(約18.8~22.5キロ)、平貝一山、そのほかたくさんあり、ご飯も大半が銀シャリだったという。 |
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「仮に宮内省側の発表によるとしても、“雑草食”の戦災・引き揚げ者たちには大変なゴチソウに見えた」と同記事は書いた。その後、女性や子どもたちがご飯に群がって手づかみで食べ始めるなど、「すさまじい光景となった」。 |
黒板には、翌日の皇族ら13人の夕食会の献立表が書いてあった。「平貝とキュウリとノリの酢の物、おでん、マグロの刺し身、焼き物、から揚げ、タケノコとフキの煮物」……。 |
「俺たちは飢えている」「天皇のために家族を失った」皇居前に25万人が集結…
空前の食糧難が生んだ“日本の戦後が変わった瞬間” 小池新著(文春オンライン)
日本を遠く遠く離れ、まるで島流しにあったような孤島やジャングル、極寒の地で軍人さん方兵隊さん方が食糧すら満足に持たせてもらえなかった。
他国民から食料を奪い、家畜を奪い、それも尽きると食糧といえないようなものを口にし、挙げ句の果てに戦友の肉まで口にしなければならない極限に追い込まれられた。
どれだけ軍人さん方兵隊さん方が斃れようが、国民がどれだけひもじいと飢えて苦しもうが、皇統にいる者たちは一切我関せずで、庶民よりも格段に豊かな生活を送っていたのです。
そのような血統が国民の生命を下敷きにし続けて、今だに生き延びてきているのです。
国は負け、大事な人まで殺されて
国が負けてでも、大事な人が生きていてくれる方がよほどよほどいい。旦那さんだったり子供だったり。国が勝っても、大事な人が戦歿したならば哀しすぎる。
生きて旦那さんや子供さんが復員されたのが自分でなく隣の家庭だったら、絶対にうらやましく思う。でも表には虚勢を張らねばならぬし、復員された家庭も喜びの感情を出すことは許されない。
誰がそんな戦争の道筋をひき、最終的にGOサインを出したか。
昭和の戦争は「国は負け、大事な人まで、殺されて」。
本当に、立つ瀬がない戦争でした。日清日露で勝ったものだから、裕仁も先の皇統のように自分も勝ち戦をしたかった、たったそれだけだったのです。
本人は衣食住全て足りているうえに全て破格の待遇だから、衣食住なんて気にすることなく戦争を決められ、ゲームに集中できる。勝ち負けだけにこだわれる。
国民に暮らしがあることすら忘れて、庶民は駒だから「どの方面も悪い」なんて平気でほざいて、その先に血を流し、魂が抜けて霊となられ、その一人の死の背後にどれだけの国民の悲しみやつらさがあるのか、理解もできない。
皇統が政治の世界に出てきたのは、明治以降。ポッと出(で)の政治未経験者であるということ。
薩摩だ長州だとかつぎあげられ、すごく張り切って政治の世界へ出てきた。しかし、自分はそれまでやんごとなきお方、庶民と対極のくらしをしてきたし、担ぎ上げられても格が違うから、そもそも庶民に関心がない。
さらに悪いことに、維新だといって、日本人同士で戦わせる。官軍だ幕軍だと言って、その上の立場にたって「国民を殺すような天皇に天皇たる資格なし」と気がつくこともない。結果、たくさん人が死んでもそれはそもそも庶民、国民が死ぬることに無関心だったが、それに耐性までついてしまった。
生命の尊さなんてどこ吹く風で、庶民にはそれっぽい短歌で慈しみがある振りだけして「勝てばいいのだ」とご満悦になるためだけに、庶民の生命までもてあそぶような血統に成り下がってしまった。
たかだか120数代の皇統。最初は神様までいれた無茶苦茶ぶりだけれど、人間的に考えたらたった120数人分の人間の霊。現代人が平安期ぐらいの天皇のこと、誰一人として神と認識していないのに、明治以降の教育によって、睦仁以降は腫れ物に触れるように扱い、持ち上げ続ける。
明治以降神に祭り上げられいい気になって、たかだか120数人分の、それも死んで霊となった人間を尊ぶ一方で、同じ時代を生きる400万人もの自分を養ってくださる国民、そしてその中で最も尊い「国を護らん」とする高潔な志を持つ軍人さん方兵隊さん方の生命を戦争ゲームで費やし、遺されたお母さん方や家族、地域の人たちを悲しみのどん底に突き落とす。
隣の家の財産が欲しいと狙い、旦那を殺害し、奥さんを強姦し、娘さんを連れ去って、抵抗する息子を奴隷にするなどしたら、死刑ではすまない。それを高いところから裕仁は国をあげて「やれ」と命令し、実際に周りの国の国民の生命まで奪うという非道なことを庶民にさせた、ということ。
そのことの重さは、ただただこの血統が8月15日に部下が作った「反省文」や「お言葉文」を読み上げるだけでは、到底到底帳消しにはできないし、誤解を恐れずに言えば、それを庶民が皇統と同じように反省する必要は全くない。
なぜなら、そのように導いたのは皇統でありそれにおもねる者たちであって、この国の国民も、その輩が敵と決めた国の国民も「生命まで差し出さされた」被害者なのです。
この国とこの国の敵国とされた国の庶民は、皇統が決定した戦争で先祖に強烈な苦しみを与えられ人生を奪われた、という点では共通点がある。だから労働運動みたいになってしまうのだけれど、「戦争は絶対にだめだ、権力者の思うがままされてたまるか」と連帯しなければならないのです、それが例え遠くの、自分が知らない民族同士の戦いであっても。
わが国ばかりでなく、周りの国の軍人さん方兵隊さん方、そのお母さん、家族や社会も、戦争を決めた人間、戦争を決められる人間の「鶴の一声」で人間世界を肉体精神ともに「痛烈な苦しみ」を伴って退場させられ、これだけ殺した人間の血脈はのうのうと生き延びている。
戦歿者追悼式で天皇が言う「先の戦争を反省し」。
これをすべきなのは皇統や上級国民なのであって、庶民を巻き込むな、皇統や上級国民がしなければならない償いまで、先祖を殺された被害者たる庶民の子孫にまで付き合わさせるな、と強く言いたいのです。
防人のかなしみ
そしてわたしはここで万葉集、学校でも習ったと思うのですが、もう一度詠んでもらいたいのです。
韓衣 裾に取りつき 泣く子らを 置きてそ来ぬや 母なしにして (からころむ すそにとりつき なくこらを おきてそきぬや おもなしにして) |
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『万葉集』巻二十 防人歌
お母さんが原因は分からないが若くして亡くなっている。「お父さん、行かないで」子供達にとって、頼れるのはたった一人、父である自分しかいないのに、自分は防人として徴兵され残していくしかない。この子達の未来はどうなるのだろう。
どうしてこういうことが起きたのか。泣く子供達を、世間の荒波の中に残して出て行かなければならない、父となった若者の苦しみはいかばかりだろうか。先に亡くなられたこの子達のお母さんはどれだけ子供達の将来案じて亡くなっただろう。
こんなに古い時代から、皇統は国防だ何だと言って男達を戦場へと駆り立てるようなことを平気で行い、庶民を苦しめてきたということがこんなところからも垣間見える。こんな皇統という血筋は必要だろうか。このような驕りの血統だからこそ、死んだ血筋の人間と、同じ時間を生きる国民を躊躇なく天秤に掛け、いつの時代も「国民の側」を切り捨ててきたのです。
戦争を統べる者が「敵」と決めなければ敵にはならない
戦争をやる、と裕仁が決めた結果、よその国の国民の命、相手の国を「敵」と決める。相手の応戦する国の、軍人さん方兵隊さん方、そして彼らにもお母さんやお父さん、家族がいる。
相手の国からすると「異民族」が現れて征服に来たのです。今の外交にも最悪の影響を与え続けているのは、それがどれほどの「苦しみや悲しみ」に満ち満ちているか、という証拠でもあり、これは心情であるから外には見えません。
だから戦後の日本人、特に愛国者を気取る者たちは「スメラギイヤサカ(皇統が永遠に栄えてほしい)」と叫びながら「インフラを整えてやった」、「生活の質を改善させた」、「社会制度をもたらした」、と、感謝しろといわんばかりのことを、日本が攻め込んだ相手の国の人たちに平然とまくしたてるが、そんな開き直りのこと言われ続けて、相手の国がまともに取り合って仲良くしてくれるでしょうか。
仲良くなる前に、赦してももらえない。絶対に。
なぜなら殺しているのです。生命を奪っているのです。相手の大事に思う人たちを霊にしてしまって、取り返しがつかない。
それでもなんとか、とひたむきに謝るしかできないが、それすらできない。であるならば、「ここまでわからないのなら逆にたかってやれ」、「利用してやれ」、そう発想が変わってもなんらおかしくない、むしろ思われて当然のことをやっているのです。
国粋主義者はじめ、排斥主義者、特に愛国者を自認する人に問いたいのだけれど、もし自分が、日本が攻め込まれた立場だったら、征服した国の「感謝しろ」の言葉にどう思うか。
穏やかにこの国に住んでいたのに、突然日本に異民族がやってきて「戦闘状態ニ入レリ」と知らされ、めぼしいものまですべて略奪し、殺戮強姦するような野蛮な男どもが自分の郷土を制圧したら。
たくさん殺され、たくさん強姦され、好き放題に奪われ、こうなると日本であっても「異民族打倒のために戦おう」と解放戦線が組織され、ゲリラ戦もするのではなかろうか。
「虐げられた国民よ、指導者の旗の下に集え」、と。
これを国歌にして脈々と歌い継がれている国があるのです。中国です。もちろん虐げたのは日本。
これほど根に持たれても仕方がない残虐なことを日本はやったのだ、ということを日本に生をうけた人たちはよくよく考えなければなりません。君主が他国民に残虐非道の限りをすることを許した国に生まれてきてしまったがために。
中国が国歌を新しいものに変える、となったときこそ、日本と中国の本当の雪解けということでないだろうか、と思うのです。
人間はあらゆる過不足がある世界の中で生きる宿命、とすれば。
人間は、あらゆるものに過不足がある地球で生きていかねばならぬ宿命です。技術や資源、領土の広さ、人口、さまざまな違いがあり、この国は資源がない。
国際連盟の椅子を蹴って「堂々退場ス」なんてことをやったが、そんなことをやる国とまともに取り合う国があるでしょうか。
普通の神経なら「そんなヤバイ国に関わるのはよそう」となるのが普通ではないでしょうか。「連盟よさらば!」なんてカッコつけている場合ではなかったのです。
■1933年の、日本の国際連盟からの脱退を報じる新聞記事(WikiBooks)
それをやって、周りの国から相手にされなくなって、いよいよ「相手にされない、国をあげて強盗をしろ」。
一方国民には隣組だの一致団結だのと人権を踏み躙っていく二枚舌。それをやったのが自分の国である、皇軍、すなわち裕仁の軍隊であるということを、クズが天皇であったばかりに考えなければならぬのです。
本当に愛国者であれば、裕仁がぐじゃぐじゃにして放置したまま無責任に世を去った、国際関係の解決を考えなければならないでしょう。
特定の国の国民を責めたり虐めたりしていると、裕仁のやったことの繰り返しになるのです。
最近の政治、特に「日本をとりもどす」とかという勇ましい選挙ポスターが目につきます。なにから何を取り返すのか。国民から利権と税金を吸い上げ、国民の血をすすって肉をくらう連中から国を取り戻す方がよほど大事とは思うのだけれど、このように煽って煽って票をせしめ、ただでさえ政党助成金と言って国庫から血税を奪い、政治献金という賄賂まで手にして、政権を握っていることをいいことにこれらを合法化した挙げ句、まだ足りない、もっともっとあるだろう、と庶民の懐に手を突っ込んでまさぐり続ける。
総理大臣の名の下に集まった、献金という名の賄賂を私(わたくし)して、死んだら政治団体に還流させ、なんとか一銭も国家に渡らないように画策する妻とか目立つが、これの一体どこが愛国者か。
さらには裕仁の起こした戦争があるから、国会議員もどこの国の国籍だから分からないような人間が混じり込み、はたしてこれが誰の為の政治か、どこの国のための政治か、わからないような政策ばかり繰り出している始末。
国防なんて国の存続のために一番大事なのだけれど、大国に領空まで支配されていて、顔色をうかがわなければならない。どんな小国であっても「自分たちの国防」をやっているにもかかわらず、こんな国会議員が策を弄していく。
そんな状況をいかに打破するか見通しを示し、自国だけでは生存できないことを深く認識して、まわりにしっかりと償うべきは償う、けれども食い物にはならない。このような代議士は現れないものか。
それは与党は絶対に無理だし、野党も当てにはならない。けれど、国民がお灸を据えることはできる。ほんの一瞬だが、まともな政治をしようとしていた時がある。野党が政権を握った時だ。野党も血税を我が物にして無茶苦茶な政策も展開したが、「支持を失うとタダの人になるのだ」という緊迫感が与党にあったのは大きな収穫。このプレッシャーを国民は常に政治に与え続けなければ、いつ「大本営発表」が流れるのかわからないのです。
外国人を嫌悪ばかりしていられない
他国では外国人の財産取得に制限がある。例えばタイでは、外国人はマンション(コンドミニアム)が買えるけれども、土地は国民でなければ取引ができない。さらには90日レポートと言って、90日ごとに在留管理局に所在を届けるような(外国人にとっては)面倒な仕組みがある。タイがこういうことをやっていて、やりすぎと思うところもあるのだけれども、外国人に隙を与えないためにとる方法としてはうまいなあ、と思うのです。
日本で迷惑系をやった外国人、犯罪を起こした人間の報道。ホテルに嫌がらせをして水を出しっぱなしで出てきてやった、とかレンタカーで大破するような事故を起こした人間が不起訴になったとか頻繁に流れてくる。
こういうのは政府の怠慢であるし、「なにも償わず出国を許すばかりか再入国も自由にできるなんてことがまかり通る」のはどうしてだろうか、と思うのです。ここをしっかりしないと、ますます日本人が外国人嫌いになる。
これの行き着く先は、ただただ国内に敵を見つけて「排除しよう」「外国人をのさばらせるな」、と声を大きくして、弱いものを少しずつ排除していく社会。
最初はまともなような雰囲気を出し、周りもそれを盛り立てるけれど、そのような連中は、生け贄がいなくなったら、次の生け贄を探す。
真面目に働いて、税を、納めるべきものを納め、日本に対して敬意と愛着がある人間であれば、受け入れる。その代わりに不埒なことをする輩は断固として許さないし、再入国はさせないと、国を法律が守る。どうしてこんな当たり前のことが通らないのだろうか。
差別や迫害をしつづけていても、絶対にいいことはないし、そんな国に未来はない。
地上にある国は、周りの国とやっていかなければならない宿命です。それは、どの国も全てを一国でまかなえないようになっているからです。その宿命がある以上、いかにうまく、仲良く国交をあたためるか、自分が損をしないというのは考えるけれども、相手も損をしない取引ができるか、それをやるのが政治家の務めであろうと思うし、国民も民族主義に踊らされてはならない。
相手が喜んでこの国と貿易をしてくれて、困ったときでもその国だけは日本を見捨てないでいてくれるような、そんな関係が目指すべき姿ではないだろうか。特に人口減の時代、外国人の助けがなければやっていけない段階に与党が持ってきてしまった。
なのに、日本が好きで好きで仕方がない外国人もいる、苦しい戦禍や祖国を追われてやってきた人たち、彼らを冷たく突き放し続けていいのか。さらにそれが、戦争の一歩になっても困る。
煽りに乗ってはならない。相手も○○人とひとくくりにしてはならない。日本人にもどうしようもない人間もいる。
ひとりひとりを見て、日本を馬鹿にするような人間は厳しく罰するけれども、大事に思ってくれるファンは大切にする。そんな国でありたいし、そういう理想を掲げる人を応援したい。
オランダが正式名称を「ネーデルラント」に改称したが、日本だけは「オランダ」でいいという。
改称の理由は、「オランダ」の語には見下した意味があるからだという。しかし、日本とは鎖国の出島貿易から400年以上国交があり、戦争で日本はオランダ領を攻撃したにも関わらず、それでもなお例外なのは、「オランダ」という語の先にオランダ人を尊敬し、大事にしてきたのが相手にも伝わっているからこそ。
言葉は道具に過ぎない、その先に人をどう見てきたか、その積み重ねがこんな形で現れる。たいしたことはないと思うかもしれないけれど、これまで通り「オランダ」と言って欲しいって、これはある意味ラブレターみたいなものだなあ、って思います。
万博のオランダ館、当たり前のように看板には「オランダ」って書いてあるけれど、英語表記では「オランダと呼ぶことは許さん」ってなっていて、そういう目で見てもらえるととても微笑ましいって思うのです。
こんな付き合いもできているのです。何も難しいことはない。はるか遠方の国とこんなお付き合いができるのだから、隣の国とそれができたらどれだけ素晴らしいか。
煽りに乗せられず、外に敵を求めず
何から取り返すのか知らないけれど、国会議員に国籍も素性も分からないような輩が紛れ込んでいるにも関わらず「日本を取り返す」って訳の分からない政治ポスター、公共放送という口実で税と別の厳しい取り立てをしながら他国の政治の問題点を指摘する一方で自国の政治は批判どころかなだめ役。
こんなものにふりまわされないのが一番大切と思うのです。政治は内政の不満を外国をカタキにすることでガス抜きをしてきました。時代も国も問わず常套手段。けれど、のんびりおだやかな国交ができれば、自分の周りの問題に目をもっと注ぐことができ、生活の質が向上するでしょう。もっと幸せな生活ができる、そう思います。
○○国人ではない、ただただ相手ひとりひとりを見て、お互いに大事にする。国同士もみんな仲良くする。当たり前の国になってもらいたいと願う。
この国は実際に戦争に負けた。けれどもみな生きている。親や家族がいる社会。国同士で勝った負けたなどは関係がない。負けても好きな人が生きているほうがよほどいい。
靖國神社にお参りをすれば愛国、そんなたやすいものではないのです。
靖國神社で、何を思って軍人さん方兵隊さん方、そして靖国の神様に祈るか。すべての日本人の魂は、彼らの犠牲のもとに成り立っているのです。尊い命を庶民には供出させ、生命を掛けてでも「戦争をさせない」という気概もなかった男が君主であったばかりに殺されたのは、ほかでもない、自分たちの先祖です。
純粋な若者達に人を殺すことを教え、本来顔を見ることもなかった外国の人たちに残酷なことをしなくてもよかったし、外国の人達からしても、天皇というオッサンが「敵」としなければ殺されることもなかったのです。
なによりなにより、自分たちの先祖が苦しい思い、つらい思いをして、何の罪科もない人たちに銃口を向ける必要はなかったのですから。
ですから、この国の国人だけではなく、そのオッサンが「敵」と決めた国の国人、どうか彼らにも思いをよせてあげてほしい、そう願います。
それが、死んだ軍人さん方兵隊さん方の生命を活かす、もっとも正しい道だと信じます。
ただただ軍人さん方兵隊さん方ありがとうございます、それだけでは足りません。
また戦争が起きてしまえば、彼らの死が無駄になってしまいます。
彼らの生命の尊さを思うからこそ、同じ時代に生きる人間、そして過去に生きた人間に思いをよせ、戦争の犠牲はすべてその当時の権力者、それにおもねる者たち、それによって大儲けができる人間の策動によって常に惹き起こされることを肝に銘じて、どこの国の人も、人として相手を見る。人として相手の生命を大切に思う。
それでこそ軍人さん方兵隊さん方の生命の尊さを活かすことだと信じます。
身はいかになるともいくさとどめけり、とは。
最後に短歌を紹介します。長文お疲れ様でした。以前遊就館に展示があり、衝撃を受けたものです。調べると1945年に作られ、当時の侍従次長木下道雄が1968年に著した『宮中見聞録』の中でも紹介されているようです。
身はいかになるともいくさとどめけり ただたふれいく民をおもひて 裕仁 |
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自国外国の軍人さん方兵隊さん方、そして市井に地道に生きる民間人をあまた殺し、その家族や社会に哀しみと絶望、困窮へ突き落とした。
東京の都心の一等地、森付き数戸建ての家に、国民の「血」税で住まわせてもらいながら、国民を「ただただ斃れいくしかない」存在にしたのは誰か。
自ら開戦し民に地獄への道をつけながら何が「いくさとどめけり」か。
終戦の詔勅。「汝臣民我が意を体せよ」、一体どの口がそんな偉そうな目線で、窮乏に窮乏を重ね、生活の洗いざらいを奪われた国民に人ごとのように平然と言えるのか。
「申し訳なかった」と言って責任を取るのが、天皇以前に人間としてあたりまえではないか。ここまでやってしまった以上、当然に退位し、明々白々な「戦犯」として裁かれなければならないのに、これすら策を弄して回避。国民を混乱させて有耶無耶にして、その血脈が未だ国民の上に重しとしてのしかかっている。
そして現在に至っても、申し訳なかったと謝罪すべきなのは皇統なのに、加害者と被害者をうやむやにして、戦争の苦しみを味わせた庶民にまで、「戦争は『してはいけない』」と言わせ、靖国神社も護国神社も、加害者と被害者の区別もつかないらしい。戦争をするのは庶民でなく世の支配者の思惑ただひとつであるのに。
進駐軍に媚び退位まで回避する工作を弄し、国民の見えるところで慈しみ深い姿をチラ見せするだけの百二十数代の民喰らう皇統は、この国に本当に必要か。