ご挨拶
関行男記念館について
関行男海軍中佐をはじめとした全てのご戦歿された方々、そして戦争や社会の狭間にあって、いのちを失うに至られた方々の想いに寄り添うきっかけにしていただくために開設したオンラインミュージアムです。
オンラインミュージアムのメリットは、建物や資料の現物(実物資料)がなくても、画像や引用で資料を提示して解説ができること、そして時間や場所を問わずにアクセスができることです。また、来訪された方々に閲覧するかどうかの決定権があり、時間も束縛されないということも重要に思います。
そして、関行男記念館でご関心を持っていただきましたら、ぜひ実物に触れに実地へ足をお運びください。現地の雰囲気、気分の高揚感を体験していただきたいと思います。関行男海軍中佐のゆかりの場所をこちらでご紹介しています。どうぞご旅行の参考になさってください。
関行男海軍中佐が好きで好きでたまらない学芸員が開設しております。24時間開館しておりますので、いつでも、どうぞごゆっくりご覧になってください。
「戦死する瞬間」の向こう側
わたしは、特別攻撃隊の隊員様方の「こころ」を知りたい、とずっと考えています。きっかけは映画『永遠の0』でした。わたしはあの作品から「彼らのいのちと引き換えに戦争がない状態が続いていること」を突き付けられ、「その尊さやありがたさ」から「ご慰霊」を考えるようになりました。
死んだらどうなるか。身近な人は「消えてなくなってしまうのではないか」と生前言っていました。一方わたしは、死んでも霊として生きておられるものと考えています。
映画の中で、ただただかっこいい男が最後特別攻撃で戦死する寸前で画が止まり、そして人間が一線を越える。生と死の境界線を。
それを越えれば、人間が霊になる、しかしその先は描かれません。特別攻撃隊で亡くなられた方々は、その後どうなられたのだろう。霊となられた後、苦しんでいらっしゃらないだろうか、と気になって仕方がありませんでした。
「どうして自分たちはこんな苦しい死を迎えなければならなかったのか」
「これだけ『お国のために』と頑張ったのに、どうして現代人は自分たちに関心を寄せてくれないのか」
――もし、そんな思いが募っていらっしゃれば浮かばれるものも浮かばれない。魂のご安寧につながらないのではないか、そういうふうなことをずっとずっと考えてきました。
そんなことを思ううちにエンディングが流れ始め、ほかの観客は席を立ちはじめ館内がからっぽになります。それでも最後までいて、ずっと考えていました。15回も同じ映画を観に映画館へ行き、さらにリバイバルや公民館を会場とした上映を聞きつけて遠くまで観に行ったのは人生はじめてのこと。「越えたその先」を知りたい、その一心でもありました。
そこから特別攻撃隊の隊員さん方のことを知るために、鹿屋や知覧、各地の護國神社や戦争遺跡を見て回ることにつながり、そしてわたしが一番最後にたどり着いたのが関行男海軍中佐です。
手紙に遺された言葉
関行男海軍中佐がその短い生涯の最期に、手紙に記された言葉があります。
「遙なる故國を想ひて」
この一言に、当時の若者たちが飲み込んできた、全ての想いが凝縮されているように感じてなりません。異国の空で、或いは海で、どれほど多くの方々が故郷を、お母さんを想いながら天を仰がれたことでしょうか。骨すら戻らぬ異境で、彼らが最後に見た景色は、彼らにどう映ったでしょうか。
かつて、若者たちのいのちを盾として使い、彼らの純粋な志を「軍神」という型にはめ、多くのいのちを失わせていった構造がありました。お母さん方が大切に育てた我が子が、いつの間にか「天皇の子」にすり替えられ、戦争へと駆り出されていく――これを「仕方がなかった」で済まし、戦後は徹底して庶民の犠牲から目を逸らし続ける社会が構築されてきました。
そして、その究極の形が「新しい戦前」と揶揄される社会として結実しています。
原子爆弾をはるか上空から落とされ、人類が経験したことのない残虐かつ非道な殺戮を受けた唯一の国家として、日本の非戦の訴えは一定の存在感があったはずです。
しかし、いよいよその国までもが武器を売って儲けることを決めた以上、そんな日本の訴えに、果たして誰が耳を傾けるでしょうか。自ら戦争の荒波に再び漕ぎ出していくような政策を矢継ぎ早に打ち出し、国会の議論すら経ずに「閣議決定」という仲間内の密談で決めて行く。果たしてこれが正当な国家運営の姿でしょうか。
戦争中の、あまたの国民が死体に変えられ、霊とされてしまわれた悲惨な姿は、いつの間にか教科書に載らなくなり、社会生活の中で目にすることも滅多になくなりました。さらに、このような衝撃的な死を迎えられた方々であればあるほど、現代人が虚構を混ぜて創作材料とし、戦争で犠牲になった方々の「人間としての尊厳」までも奪われる現実が、もはや当然に成り果ててしまいました。
わたしは関行男海軍中佐から、さまざまなところへ誘われます。各地へ赴き、ご慰霊を続けています。ただ線香とお酒と、自分で淹れたコーヒーを持参して。魂のご安寧をお祈りすることしかできないけれど、苦しく亡くなった、かつて人間でいらっしゃったあまたの御霊に、ほんの少しでも安らぎを感じていただけたら ―― そう願うばかりです。
学芸員の立場から
わたしは学芸員の資格を有しておりますが、零戦の性能や軍の戦術などへの興味はあまりありません。この記念館では、資料はあくまで参考とし、そこから見えてくる人間的な側面に光を当てたいと考えています。
ここに書く意見や感想は、すべてわたしの私見です。ただただ、苦しく亡くなった方々の「人間としての気持ち」に寄り添いたい――それだけを原動力に、この記念館を開設しました。
関行男海軍中佐とご母堂様のご苦労は、母が戦時中に生まれていることもあり、人ごとのように思えませんでした。考え至ったことを、できる限り伝えたいと思い、開設に踏み切ったのです。
関行男海軍中佐に開かせてもらった視野で、思いついたことを書き留めていきます。
読んでくださる方へ
現世は過酷です。お読みになられている方で、今つらい状況に置かれていらっしゃる方もおられるでしょう。関行男海軍中佐やご母堂様、そして険しい人生を歩まれた方々の「生」と「死」を拙いながらお伝えし、少しでも心に触れるものがあれば幸いです。
「愛国」という言葉には、本来「国を愛する、大事に思う」という以上の意味はありません。自分も周りも「いのち」を大切にできる、温かい小さなつながりが寄り集まって国になるのであれば、自然と国を愛おしく思うでしょう。それが本当の「愛国」の意味だと考えます。弱い立場の方々も安心して生涯を送り、「この国に生まれてよかった」と思っていのちを終えられる、そんな国にいつかなってほしいと願っています。
あわせて、この国は庶民を犠牲にしていると思うことが数多くあります。とりわけ戦争では、国内外の多くの方々のいのちが握り潰されました。平穏に人生を歩まれるはずの多くの方々が、死ぬる道、殺される道、そして殺す道までもつけられて、霊にされてしまいました。生き延びられても、筆舌に尽くしがたい苦難の生涯しか残されなかった方々も数えきれません。
その犠牲となられたすべての庶民の御霊に、心から哀悼の意を表します。同時に、極めて困難で過酷であった治世を引き受け、後の戦争のない時代を用意してくださいました。その短いご生涯と引き換えに「戦争のない状態」を後世の人間にもたらしてくださったことに、心から深く感謝します。
奇しくも戦後80年となる節目の年、2025年の海軍記念日に関行男記念館は開設されました。
関行男記念館 学芸員