記述・表現の峻烈さについて
墓標を前に、亡くなられた方々に何を語ればその御霊が安らぐだろうかと、ひたすら思索してきたことをそのまま記述しています。オブラートに包まず、棘のある表現もあえて提示しているのは、個々の良心に基づく思索を深める一助にしていただくためです。
特定の個人や団体を攻撃することは、本意ではありません。また、内容に賛同いただく必要もありません。もし読むに耐えないと感じられた場合は、いつでも閲覧を中断してください。
関行男記念館が、時代や構造への考察を深める一助となり、こころの奥底にある良心へ静かに問いかける、そのような場であることを願ってやみません。
A.それぞれの最期と戦後の扱い
記録されなかったいのち――関行男海軍中佐のご母堂様と、消え失せた証言
関行男海軍中佐のご母堂様のご生涯を知ろうとするとき、たどり着く記録はほとんどありません。
なぜ、これほど苦しく生きられた方のご生涯がさまざまに伝わってきたのか。
関行男海軍中佐のご母堂様が最期のときを住まわれた村の暮らしを地道に書き残した、無名の郷土史家たちの仕事から気付くことがありました。そして、「記録する」とはどういうことか、静かに問い直します。
ご祭神を推さない護國神社 ―― 愛媛と徳島、同じ四国での落差
特別攻撃隊の先鋒を担った敷島隊。その隊長・関行男海軍中佐と隊員・大黒繁男飛行兵曹長は愛媛県出身です。しかし愛媛縣護國神社の展示は、お二人が写る写真に「松葉杖の司令が握手する写真」という説明をつけ、本文でその名にすら触れません。隣県・徳島縣護國神社が「軍神となる」と明快に記すのと、これほどの落差があります。
護國神社がご祭神を顕彰しないとき、ご祭神はどこへ行けばよいのでしょうか。
B.国民の苦しみの根源 ~ 皇統の責任
「皇統に刃向かった」からと、国家の祭祀から弾かれた方々の苦しみ
皇軍との戦いでは、戊辰戦争でも西南戦争でも、おびただしい死者が出ました。特に熊本の田原坂では日本が旅順要塞を陥落させるために使った以上の銃弾が飛び交い、土砂降りの中、至近距離で銃を構え、刃を振り、何の怨恨もない若者たちが睨み合い、殺し合うのです。それもほんの少し前には同じ神仏の庇護のもとで、同じ言葉、同じ食習慣をもち穏やかに生活していました。
さらにご戦歿後。「皇統に刃向かった」とされた死者たちは、国家の祭祀の対象外とされたきりです。
彼らは、祖国の大転換期に生きて、苦しみの中亡くなられた。しかしその死は「この国の礎とならなかったのだ」と断罪し、つまはじきにされる、そんな死でしょうか。どうして「彼らの死も尊いのだ」と祭祀されないのでしょうか。彼らに対する現代人のまなざしを考えます。
「戦死でない」からと、国家の祭祀から弾かれた方々の苦しみ
ロシアからの攻撃が恐れられていた時代、青森では「弘前と青森の補給路が制圧された場合の影響と回避方法」を検証するため、行軍訓練が行われました。おりしも冬の大低気圧の影響で、後世日本史上最低気温として記録され、八甲田山中での遭難で199名の軍人さん方や兵隊さん方が亡くなられました。
そればかりではなく靖國神社は「国の礎となられたすべての軍人さん方兵隊さん方が祀られている」としながらも、彼らをつまはじきにされて百年以上経過しています。
彼らの立場、そして彼らに対する現代人のまなざしを考えます。
「志願」という建前に隠された思惑
特別攻撃。それはあくまで「志願」という形をとりました。その「志願」に応じた特別攻撃隊の隊員さん方は、その日の夜、自分が決めた「志願」にどれほど苦しまれたでしょうか。単に命令であれば、幾分は納得しやすいものが、「自分で決めた」とされたことによって、もっともっとつらく、後悔することになったのは容易に想像がつくでしょう。
どうして特別攻撃が「志願」を建前にしたのか。そこにある「思惑」が何だったのかを考えます。
これだけ国民に強いた戦禍を「仕方がなかった」で済ます神経
キノコ雲が立ち上がったときに、10数万人の市民が即死した、ということ。爆風で木造家屋が吹き飛び、嵌めてあった窓ガラスが飛び散って、人間の皮膚を貫いていく。生きていらっしゃっても建物の下敷きになり、助け出せない。
これほどの惨状を2度までも経験させられ、ご生存されても浴びてはいけない光線が体を突き抜けて、見た目や体調の変化、死の恐怖とあびせられる差別に苦しまなければならない。
どうして皇統の責任を誰も問わないのだろうか。
軍人さん方兵隊さん方のご遺書
特別攻撃隊の隊員様方のほか、軍人さん方兵隊さん方が書き遺されたご遺書のうち、わたしの印象に深く残ったものを選んでご紹介します。網羅を目的としたものではありませんが、随時追加していきます。鹿屋の史料館で発行されているご遺書を集めた書物は「魂のさけび」とタイトルがつけられていますが、皆さん方すべて「叫ぶ」ことができたか。検閲官が厳しかったり、上官が面子重視だとなかなか本音は書けなかったでしょう。ただただご両親、特にお母さんに心配掛けたくないと敢えて本心を隠して書かれた方々も多いと思うのです。
C.関行男海軍中佐を知るために
関行男海軍中佐のご事績(年表)
初の神風特別攻撃隊・敷島隊の隊長に任ぜられた、関行男海軍中佐のご生涯を年表でご紹介しています。
関行男海軍中佐ゆかりの地
関行男海軍中佐ゆかりの地や資料がご覧になれる場所を、訪問した時点のわたしの個人的な所感もあわせてご紹介しています。ご旅行の参考にしてください。