関行男記念館

いのちの尊さと人生を考えるために

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いのちの尊さと人生を考えるために

関行男記念館 | いのちの尊さと人生を考えるために

いのちと引き換えの名誉――「軍神」

1944年10月25日。
フィリピン・レイテ沖に向けて出撃した
海軍中佐 関行男は、帰還しなかった。

彼は「軍神」と呼ばれた。
しかし、その前に一人の息子であった。

石鎚山に抱かれ、ひうちなだに面した
水都西條に母は、ひとり残された。

国家が与えた「軍神の母」という名誉は、世間の耳目を集めた。

しかしそれは、関行男海軍中佐の「いのちそのもの」に果たして見合うだけのものであっただろうか。上辺だけの記号を、親子は欲しただろうか。「その後の暮らし」も国家は与えることはなく、残ったのは「名誉」だけだった。

このサイトは、
軍神を讃える場所ではない。
また、戦史を整理する資料館でもない。

奪われた息子たちとお母さん方の幸せを、
国家が作った「物語」から取り戻すための場所。

「志願」の構造

戦況の窮迫の中で選ばれた攻撃作戦は「特別」とされた。
「志願するか! しないか!」と上官が言葉を荒げる。
国家の作戦として突き付けられた「死んで来い」、
それは断じて依頼でも懇願でもない。

作戦として提示された時点で、
命令なのだ。
上官の命令を、若い彼らが拒めるはずがあろうか。

出撃は個人の決断として語られた。
しかし作戦は、個人では決定できない。

若い彼らの目の届かないところで、
自分たちの生きる死ぬるが秘密裏に決められたばかりではなく、
『強制でなく志願を建前にしろ』ということまで
周到に決定された。

ご子息の帰りを待つお母さん方の願いとは裏腹に、
はるか遠く届かないところで
「爆弾の照準を定める部品」として我が子を殺す準備が
着々と進められていた。

その準備がいつの間にか整い、人選がされ、初の特別攻撃隊が出撃した。

これから死地へ向かう若者たちの姿

戦争で死ぬることがない皇統は
その報告を聞き、良心に問うこともしなかった、

「これはやっていいことなのか否か」と。

遥か高みだからこそ、自国の、そして相手の国の国民の
庶民の苦しみすら見えないとおかしいのに、
それが視野に入らなければ、入れる努力をしなければならない立場のはずなのに
この人の眼には、そして脳裏には一体何が映っていたのだろうか。

国民の親

国民くにたみの「親」と教科書で教えられたのは何だったのか。将兵方は、「国民の親」は「赤の他人だった」と戦場で思い知らされる。親が自分の子を爆弾にくくりつけるのか。おなかを痛めて産んだ自分の子供が死にゆく道筋、それも兵器の部品とするような政府の決定を、是認するのか。そもそも、どこのお母さんが息子が惨たらしく殺されることを容認するのか。

赤の他人だからこそ、殺せるのだ。

村中の人々から旗振り見送られ、「悠久の大義」という言葉まで用意され、「崇高な自己犠牲の象徴」に祭り上げる準備も、「軍神」ばかりでない美辞麗句が周到に用意された。

戻ることはお母さんに恥をかかせることになる。逃げ道は巧妙に塞がれ、無造作に置いてあった。

死ぬる選択肢だけが。

象徴にされて「いのち」は消え、
本当の気持ちも遺させてもらえない。

自分たちのいのちを死体にしては踏みつけて、
あたかもそれが当然であるかのように生き延びる皇統にすら
「万歳」と書かねばならなければ、
最期の手紙すら、お母さんに届けてもらえない。

なんとか心配させないようにと、何度も、何度も、書き直し
悲痛を懸命に押し殺した、一通の手紙がお母さん方に届く。

「がんばってきます」

と。

そのすべての郵便には「檢閱濟」と
雑にスタンプが押されていた。

関行男海軍中佐のはがきにしても、あわただしく「青春」と「人生」を味わわんと、ご母堂様に送られている。軍人であるのに、生と死につながるのに、戦争について一切お書きになっていない。

仙台第2師団戦歿兵士の合同慰霊祭
戦没兵士の帰還(1937年12月の可能性が大), 仙台第2師団戦没兵士の合同慰霊祭, せんだいメディアテーク所蔵

涙も、迷いも、ご子息を懸命に育てたお母さん方の声も、
もう遠い昔のことで、
英雄譚のようにさえ語り継がれるようになってしまった、今。

苦難の「輸出」

庶民の、将兵の苦しみは国境を越えた。庶民の暮らしの苦しみは「戦争で解決する」と、遠いところで決められた。束の間の「戦勝」は、麻薬だった。勝ち戦を望むスメラギと、それを取り巻く人間の思惑のままに麻薬を打たれた国民は、「大東亜共栄圏」という妄想に浮かれ切った。

マスコミも、どんなに負けが込んでいても、大々的に虚構混じりの物語を伝えた。戦果は多大であり、占領された土地の国民も日本軍を歓迎している、皇軍万歳、天皇陛下万歳と。本質を隠し、統制された絶頂部分だけを見せることで新聞は飛ぶように売れ、戦勝記事の中毒になった国民は、戦争を続けたい皇統の思惑に応え続けた。

しかし、一気に酔いが覚める瞬間が来る。

順番が回って来たのだ。
依頼文でも、通知書でもない。「令状」が届く順番が。

犯罪を犯したわけでもないのに「參著スベシ」という明朝体の大きな文字。

「おめでとうございます」と、届けに来た人間は深々と礼をする。
先に「踏みつけられた」同じ庶民の気持ちが突き付けられる瞬間。

「一体何が目出たいのか」と思っていても口にできない。
そして、気が付かされる。

かつて打たれた麻薬は、
「ほかのお母さんにとって、かけがえのない、愛しい子供の死」と
引き換えに得た麻薬であったこと。

自分たちは例外ではなく、たまたま遅かっただけのこと。

「宣戦布告」は「愛する人を失うこと」だと。

普通の暮らしは奪われて、
形のない「国のかたち」=「国体」を護るための人身御供にさせられる。
挙句に相手の国の人様を殺すことまでも強要される。

戦争を決めた人間は庶民を盾にはするが、その庶民の苦しみには関心がない。
ついには、若者たちを武器の部品に使い装填することすら、
「愚策」とすら判断できない愚鈍さだった。

むしろ「作戦」と信じて疑わないからこそ、「大元帥」はのたまうことができたのだろう、

「よくやった」、と。

「いのちは尊い」と考えるならば、このような言葉を口にできるだろうか。
そもそも、両国の庶民を地獄と悲しみに突き落とすようなことを決めるだろうか。

国民には折り合わない隣の家の住人とすら「隣組」で仲良くしろと言いながら
スメラギを筆頭とした国家は、自分たちの思い通りにならなければ、折り合いをつけることを放棄して拗ね、国際連盟の椅子を蹴った。

それも「人様の領土を占領したいという思惑を否定された」と言って駄々をね、マスコミもこの言い分に賛同する論調を繰り広げて、「それがどういう結果をもたらすか」客観視させないよう世論を覆い尽くした。

こんな国をそもそも国際社会はまともに相手をするだろうか。

世界からつまはじきにされて、戦争で難題を片付けようと決め、
絶対に離れることができない隣国を下に見て、
仲良くする努力もそこそこに、隙を伺う。

重大な裁可、こと戦争を起こすなんてことは当然にスメラギの専決事項であり、それまでも国の衝突が小火ボヤのうちから気配で知ることができた立場だった。いくら凡庸であったとしても、国の逼迫する状況を知りうる立場であったのだから、主導的でなくても戦争を食い止めるための意見はことあるごとにできた。何より、スメラギの意向を政府が無視しないわけにはいかないだろう。
しかし、戦後はその無作為をまとめて、処刑された総理大臣に責任を持っていく。そして大手の新聞社までもが戦後「内閣が勝手にやった」という理屈で押し通して「総括」するに至っては、あまりにも死んだ国民たちに対して無責任かつ、巧妙すぎる無罪判決ではないか。

世界はおろか味方であり、前線でいのちを晒す軍人さん方兵隊さん方にも、そしてその家族たる国民にさえ、「真実は伝えない、むしろ張りぼてのウソを撒き散らす」ということがまかり通った。報道機関も権力と一体化して、「周りの国と仲よくしよう、なんとかこの世界危機を皆で平和裏に乗り越えよう」などと一言すら言わず、「国とマスコミが仕立て上げた『敵』といのち懸けで戦うことこそが、この国の難局を救うのだ」、「裕仁のために死ぬことは名誉なのだ」、と庶民が死ぬる道を懸命につけ、洗脳を進めていった。

「さあくわう(こう)こくの威信をひろめる為、異國の民とたたか(え)!」と、都心の森付き数戸建ての住人は宣戦布告をする。

命令通り、庶民出の若者たちはいのちを賭けて戦った、懸命に。
戦わされた。 誰の為に?

死んでしまえばそれで人生終了だ。
だからこそ「何の為に戦うかを懸命に探しながら」懸命に戦った。
故郷に帰るために、お母さんを思いながら。

帝都から目が届く範囲なんてたかが知れている。
にも関わらず、自らの目が届かない程に、裕仁は戦線を広げることも躊躇がない。
遥か異国でたおれていく国民は、ただの「兵力」だからか。

「身の程」をわきまえず世界に挑みかかった結果はただ、
自国の、そして「敵」に仕立て上げられた隣国の人たちに
空を仰ぎ、嘆きながら霊に変わりゆく場、苦しみと悲しみの場を、新たに用意し続けただけだった。

他国民と言い、自国民と言い関係なく「勝つために人を殺す」ことが正当化され、挙句、敵も味方も見境なしに、将兵も民間人も区別することなく「疑いがあれば殺せ」、「用が済んだら殺せ」、と「殺しに殺しまくるよう」厳命された。
下命した人間は都心から動かず、地図を見つめるだけ。無理矢理軍服を着せられた庶民は、人間性や良心を無理やり奪われ、恐れながら人を殺すことをやらされる。麻薬や人体実験や、おおよそ「出征」前には想定もしなかった残忍なことが当たり前のように繰り広げられた。帰国して、家族のもとに還れたにも関わらず、焼き付いたトラウマが「人間」を「廃人」とさせたケースもある。自分が殺した相手の国の子供と、自分の子供の姿を重ね合わせ、その苦しみのあまり自殺された将兵方もいた。

軍隊の通り過ぎた後には美都久みづくかばねくさ牟須むすかばねが累々と続き、日本に何の怨讐もなかった人たちが無惨に殺され、憎悪を抱かれても当然のことが繰り広げられた。将兵達の死体。相手の国の将兵の遺体。そして子供達や老人、女性たちが尊厳まで奪われて大地に横たわり、果てには農家が家族同然で育て、「軍馬」と仕立て上げられた彼らも当然のように、故郷へ帰れなかった。

幼少から忠孝を事あることに説きながら、最大の恩義あるご両親へのご孝行はさせてもらえないばかりか、赤の他人である皇統への忠義ばかり要求され、いのちまで奪われた。

ご遺書には「孝行として、お母さんに自分のいのちを捧げる」と多く書き遺された。しかし、我が子が死体となることが、お母さんにとって「親孝行」だとどうして思えようか。

死んでしまえばそれまでになる、
なのに、権力をもった狡賢い人間の思惑を消し、ひいては皇統の責任をうやむやにするために、捕虜として生き延びる機会さえ奪われた。裕仁の「無条件降伏」に至るまでは、一個人の「降伏」も許されない。一市民が持ちうる「秘密」など、たかが知れているのに「防諜」だの「スパイ」だのと言って、沖縄や方々の自国の国民までもが、いのちまるごともみ消すために、「玉砕」を命じられる。このような惨たらしいと造語までこしらえて「死ね」と命令し、それを賛美する。
裕仁や皇統が座る椅子を「玉座」という。将兵や国民の「いのち」を、皇統の使う「モノ」同様に「ぎょく」という扱いにしておきながら、軽々しく「砕く」ことを持ち上げる。「死を強制」すること自体が、国民のいのちを到底「玉」などと考えていない証拠、言葉遊びであり、結果と照らし合わせれば、これほど庶民出の将兵のいのちを馬鹿にし、粗末にした天皇はないだろう。

大皇大君辺(へ)尓許曽にこそ死な 、これこそが将兵のあるべき姿と兵たちは教え込まれた。
そして、将兵方はその通りに理想として戦い、いのちが燃え尽きた。現代では、到底遺族も行くことができない、遥か離れた孤島、治安や住民感情、国境警備が厳しい場所、そして空中・海中・死んだ場所が特定できないようなところで、自分の息子が、主人が、そして我々の祖先が、遥か古代の戦争から、皇統の「宣戦布告」で殺された。

忠義を尽くした相手が寄こした「こんなどうしようもないところで死ね」、という命令に背くことは許されなかった。

彼らの「こころ」が宿っていた体躯からだは、鳥や動物、大魚の餌となり、異臭を放ってバクテリアにまで喰らわれて、骨にさせられた。

その結果、遺族や子孫にとっては「先祖に思いをかけようとしてもお詣りにすらいけない」、亡くなられた方々にとっては「死した場所に誰も足を運んでもらえない」という悲劇が起こる。

さらに、その死が「スメラミコトの聖戦」と言いながら、当の「スメラギ」は、死ぬる庶民出の彼らのそばに寄り添い、その死を嘆き、涙を流したことがあっただろうか。

恐らく「なんと不敬なことを言う。天皇陛下が庶民のそばに寄り添うなんて無理なこと、それに戦争で死ぬのは当たり前だ」という人間、スメラギの殺戮を免罪する人間もいるだろう。しかし、「生きて人生を謳歌できることができた」人間だからこそそのように言えるのではないか。
自分自身が出向けないほどの広大な地上や海中を、戦歿せんぼつ地、或いは死亡届の「死亡したところ」とした結果がこうだ。物理的に遺族すら寄り添うことが叶わないところでの死。そして、国民であろうが他国民であろうが見境なく「霊にした」。この事実は、人間が決めた「地位や立場」のようなもので免罪になったり、或いは別の、生きた人間ごときが「免罪にしてもよい」ことなのだろうか。それも「人生を歩むことが叶った、苦難を背負わされた先祖の子孫たる立場の人間」が。

自分の無策や無能は「地位」を盾にすると見えない。
さらには、自分は「神」とされ「別格」であるからこそ、庶民の死から目を背ける、という庶民とは異次元の判断ができる。
この結果、訳が分からない先祖も含めて120数代といわれている「『この世に存在しない祖先』や『霊となった先祖』」と、自分はおろか、親族までをも血税で養ってくれる一億もの「いまを生きる国民のいのち」を天秤に掛けて、死に追いやることをやってのけた。

さらに言えば、いつの時代も家族を失う哀しみは、普通の人間にとってはその後の人生を重く、苦しいものにする。
この感覚があれば、「戦争をやめる」どころか「戦争をしない」というのは為政者としては常識でなければならないはず。せめてもの「早く戦争をやめる」ことで、死した国民、そして「敵と決めつけた国民」の死に報いようとしなかったのだろうか。
これだけ殺戮しなければ「国民の遺体を積み上げない」という決断ができなかったという事実は、どれほど為政者と庶民の距離が遠く、どれほど庶民の人生もいのちすら、権力者に擦り卸されるかという証明が、繰り返されただけだった。

「大君のそば」で死ぬことを強要された庶民に対して、
戦争を押し付けた者として、そして何より「スメラミコト」として、どのような償いをし、責任を果たしたのか。
せめても、とひとりひとりの将兵たちの凄惨な死に際に立ち会い、
お母さんから受け継いだ、その温かな血の気が引いていく手を取りながら、
嘆き悲しんでやっただろうか。

命令通りに懸命に、勇敢に戦ったのに
その死んでいく国民のいのちには目もくれず、裕仁は軍高官を責め立てる。
こちらの方面が悪い、あちらの方面が悪い、と。
慌てる軍高官たちは畏まってそれを聞くたびごとに
もっともっとと、庶民の息子たちを死に追いやっていった。

戦友たちを含めた自分たちの戦いは否定された。

見ていたのは自分ではなく「方面」。国民の死ではなく「戦果」だけだった。

戦わされた。 何の為に?

国は破滅した。それが当然であるかのように。

こんな人間に国の命運を握る資格があったのだろうか。

そして、
「国民を死地に追いやるような『国体』」を
いのちを賭けてまで
家族のいのちを差し出してまで
庶民が護り、維持するほどの価値は
そもそもあったのだろうか。

そんな皇統が続くこと、それ自体を
なぜ、庶民はいのちを賭してまで支えねばならなかったのか。

「死ぬる意味」に苦しむ若者たち

特別攻撃隊の隊員たちは、
国家が意味づけした「英霊」の中でも極めて異質な存在。
数多の戦歿者と同列には語れない。

それは、「命令されて」生きると死ぬるの狭間に立たされ、「国体」という得体のしれない、無形のものに殺された、ということ。

味方であるはずの軍が、部下である軍人を「命令して殺す」残忍さ。

世界に類例をみないということだから、「新しい、斬新な考え」という訳ではないだろう。「考えついたとしても大手を振ってやれない、またやらなかった」とすれば、その背景には「国家の威厳」、「軍の恥」、何より「倫理」が阻止してきたからこそ、どこの国も手をつけなかっただけのこと。倫理も情も、プライドもかなぐり捨ててやったことは、手段も外聞もなく常軌を逸していた。「特別」攻撃と名付けること自体が、ほかの攻撃とは違う、「酷であることは分かってやった」と自白しているようなもの。非情どころか国家が無情である証明が、命名そのものに表れている。

彼らは人生の楽しみを奪われた代償に、哲学的な苦しみを与えられた。ここで死ぬ意味を、生きた意味をしゅんじゅんさせられる。

死ぬ寸前まで、いのちの炎が消えるときまで、

そして死んだ後までも続いていく。

冷たく頑丈な鉄の塊に、あたたかな血が通った身体を爆弾と共に破裂させ、
故郷の記憶も、お母さんの記憶も、消去し
霊になることを強要された。

24歳の関行男海軍中佐。そして10代の予科練を卒業したばかりの若者たち。

明晰な頭脳を持ち、鍛え上げられた身体は、
甲板の上に、洋上に肉片として散らばり、
フカがその肉を喰らう。

冷静に検討を重ね、相手の出方も推測しながら、いかに自軍の損害が少なく済むか検討し尽くして実施するのが「作戦」だろう。それを自軍が、自国の兵士をむざむざ殺すような作戦は、作戦と呼べるか。
「思い付き」同然のことに「作戦」の皮をかぶせれば、それは「命令」になる。

作戦が決行された。

――関行男海軍中佐と部下の方々が死んだ。

「その作戦の制止を上奏できる立場の人間」はいないばかりか、
裕仁は、その報告にさして関心を示さず、子供に言うような慰めの言葉しか吐かない。

――よくやった。

しかし、裕仁は理解していたのだろうか。関行男海軍中佐は、戦況で戦死なされたわけではない。軍の命令により殺されたのだ。「軍が国民に死ねと命令を発した」事実に、軍を統帥する者はどう解釈するのか。「自分が国民のいのちに直接手を掛けた」そのものと即座に理解し、どうして、そのことに愕然とできなかったのか。

通常の戦況報告のように流したことで、関行男海軍中佐がたった一つしかないいのちと引き換えに提示した「現実」は無視された。戦争を中止させるどころか、「軍神に続け」と裕仁が統べる「皇軍」は、もっともっと国民を追い込んでいった。無実の国民が、否応なしに処刑同然の死を天皇から賜らせるのである。「貴様らは神となる立場なのだ」と訓示されて。制止できるたった一人の人間が非難しなかったからこそ、終戦間際まで、いや終戦後も特別攻撃は続いていく。

特別攻撃隊の候補にリストアップされてしまうと、殺されてしまう。しかも建前は志願。「熱望する」とまで印刷されていて、それに丸をつけなければ「意気地なし」とされる。

その一方で「俺は『死ぬ係』ではないから」と逃げまわった高官もいる。逃げたいのは誰も同じではないか。人生がある。家族がある。それでも庶民の若者たちは「他のいのちが生き行く為に」と懸命に操縦桿を振るい、いのちをお母さん方に捧げられた。そして肉体を捨てさせられ、尊い魂となられた。

彼らは「お母さん!」と叫ばれることはあったとしても
どうしてそんな間際にまで「自分たちの死に無関心で、見過ごし続けたような人間」に、「万歳」などと叫ぶだろうか。叫べるだろうか。

関行男海軍中佐は話された
――「僕は天皇陛下のためとか、日本帝国のためとかで行くんじゃない」、と。

現代の同年齢の若者たちよりもずっと有能な方々が皆、「天皇万歳」と、杓子定規のように称えながら、亡くなられるとお思いか。わたしたちよりも、ずっと有能な方々が。

彼らは、落とし込まれた構造の中で
生きるを中断する「意味」を探そうと必死でもがき、
答えの出ぬまま「国の体制を護るために」、「反論も許さず」次から次へと殺されていった。
裕仁の「聖戦」のために。

命令一下、6,000ものご子息の魂が「部品」に変えられてしまったこと。

これほどの不条理が、どうして「忠義」だなんだと美辞麗句で単純な美談にすり替えられ、語り継がれていくのか。

一方でどうして、「犬死に」とまで軽蔑され、吐き捨てられるような評価をされなければならないのか。

現代人が作り上げた一方的な「立場」に、死した彼らが納得していると考えるならば、そもそもその視点は、彼らと同じ場所に立っていると言えるのだろうか。

「歴史の一こま」で済むのか

庶民が「欲してもいない戦争」を庶民ではない人間が決断する。
そのために、庶民の生きる糧であり希望である、息子を「天皇の赤子せきし」だと洗脳してはお母さん方や家族から引き離す。
そのいのちはざっくりと消費されて、次が補充される。鬼畜のような所業は、都心で決められ、あまたの国民が、子供達が、苦しい目に遭わされた。

その引き際にも皇統の残酷さが垣間見える。

それも「玉」音と、ただの人間の言葉に箔をつけて、正午に畏まって聞け、と流した内容は録音だった。
前日にレコードに収録されたもの。そしてその夜にも米軍は来襲し、空襲で多くの国民のいのちが失われた。

よく逸話で「自分はどうなってもいいから国民を助けてやってほしい」とマッカーサーに語ったとも言われている。
もしこれが事実であり「スメラミコト」を自任するならば、たとえ自分にどれほどの危険があろうとも――
この国だけで400万人とも言われ、さらに数すら分からないほど多くの、何の怨讐もない外国の国民までも殺戮する道をつけたのは、他ならぬ本人なのだから――
「もう戦争を終結させる、すぐ全国に放送しろ」とNHKに乗り込んでいく。本当のスメラミコトであればこれぐらいはできなければ、「箔」がないではないか。

1945年8月14日の夜にも米軍は来襲し、複数の都市に爆弾による殺戮が行われた。これらの都市では戦歿者追悼式の度に「もう1日早ければ」という言葉が毎年繰り返されることと思う。家族や先祖を失った人間にとっては当然ではないか。

「止めること」さえ、すぐには実行されず、声をわざわざ録音するというプロセス。そしてご遺族たちにとってみれば、その放送が翌日になったばかりに自分の肉親のいのちが奪われた、と突き付けられる――この事実を、どう咀嚼したらよいのか。
どうして録音する必要がある。駆け引きがあったならば、どんな。それは自分の肉親のいのちよりも重要なことなのか。そして
「これほど待ちに待たされて、ようやく裕仁は終戦の腹をくくったのに、どうしてすぐに放送しなかったのか」と。

そして「自分はどうなってもいいから」という「美談」。
裕仁を擁護し、天皇崇拝の体制を維持するため、そして裕仁にとっては自分と親子・親族の生存戦略としたら、どうだろうか。

本当に良心があり、「庶民のいのちの灯が消える」ことを嘆く心があるならば、自分が開戦について反省しているのであれば、あのような難解な言葉、自分に酔ったような声で国民をけむに巻くようなことをするのだろうか。
開戦の最終決断をしたことに責任を取り、皇統の支配を放棄するどころか、
放送冒頭に国民に「苦難を押し付けて申し訳なかった」、そしてしばらく涙を流して嗚咽する声が聞こえるわけでもなく、

開き直ったかのように「ナンジ臣民裕仁意ヲタイセヨ」と、一体どの口が叩けるのか。

こんな人間にこの国の全権を集中させて、庶民が地獄を歩まされたのだ。

戦後も、「自分は神ではない、人間だ」と宣言しておきながら、やれテニスコートの恋だ、デートだ、結婚だ、出産だと、 節目の度に国民、それも遺族にさせられた国民からも、否応なしに祝儀をせしめ続けた。
そのくせ「宣戦布告」の責任を問われると貝のように黙り込んで、「仕方がなかった」と言って済ませ、
挙句、地上では何も責任を取らず、霊界へと去った。最期には費用を掛けて「何千年前様式」という時代遅れの陵墓まで作られた。
この陵や祭儀のための費用は国庫から支出される。維持費用も少額ではないだろう。この費用もまた庶民の懐から奪った血税から賄われる。庶民や遺族の暮らしに回るはずの国庫歳入が、赤の他人への香典として、未来永劫奪われ続ける。

――関行男海軍中佐のお墓は、その建立を切望されたお母さんがご存命のうちには、実現がかなわなかった。
そして、原子爆弾や空襲の苦難を被った人たちはどうか。
一家が全滅した家庭はどうか。祖国に還ることが叶わなかった国民はどうか。
お墓もない、遺族もない、そして先祖代々の墓も参拝者が絶えた。殺された側なのに、誰も悼んでくれない。悼むためのしるしとなるものすら、ない。
そして、国はこれまでどのような関心を示してきただろうか。

千鳥ヶ淵戦没者墓苑という、皇居のすぐそばにある、戦歿者を悼む施設。
皇統や国会議員という権力者たちの参拝の姿が、定期的に報道される。
やって当たり前のことをわざわざ電波に流す。
入口の案内板には、「『無名戦没者の墓』です」と書かれ、中には他国の同様墓園と比べたパネルまで置かれている。

兵士に仕立て上げる時には戸籍や役場の人間、果てには特別高等警察や憲兵までも駆使して、地の果てまで追いかけて行っては、無理矢理軍服を着せて戦地に送り殺しにかかった。これもそれも裕仁や皇統の命令の果てでの戦死であるのに、死んだら「名前がわからない」と十把一絡げにして、ここでまとめて「葬ったこと」にしている。

アメリカ国防総省には、戦争で行方不明となった軍人の調査・遺骨回収・身元確認をする専門機関(DPAA)がある。第二次大戦中に行方不明となった軍人も例外ではない。例えば、戦後の調査で見つからなかった墜落現場を数十年後に再調査、遺骨を発見し、DNAなどを使って本人と確認し、家族のもとへ帰還させた事例すらあるという。

ひとりひとりには行方不明になった経緯がある。そして、その後の軍の捜索状況や今後の見通し。これらを部隊記録、戦闘史、個人の人事記録などを突き合わせる気の長くなるような作業。これは、国民一人のいのちを失わせた今となっては、国ができる、そして国にしかできない償いとも取れないだろうか。
ニュース映像に映った、遺族に手渡される「調査結果」の分厚いバインダーが印象的だった。

同じように戦い、憤死され、それにも関わらず名前すら分からない、で手打ちにされてしまったこの国の将兵方にとって、千鳥ヶ淵戦没者墓苑での祭祀や存在そのものによって、本当に「葬られた」こととして満足されるだろうか。もし、自分が将兵の立場だったら。

そして、その「存在」があるからこそ、「名前が分からなくても手打ちにする仕組みが完成してしまった」というふうにもとれる。

どこに「お前の名前はないんだよ」と生まれてくるいのちがあるのか。
どこに「自分が生きた証として、地上の墓標に名を刻んで遺したい」と願わない、死にゆくいのちがあるのか。

そのいのちを無名にしたのは、皇統を筆頭とした「体制」であり、その体制こそが「戦争」で庶民のいのちと人生と幸せを奪ったのだ。案内板の文章にある「無名戦没者」という薄情な単語が存在すること。そこにひとくくりにまとめられてしまった方は、誰の記憶からも消え、名前さえも「わからない」から思い起こす人間も皆無になる。

遠い戦中のことは分からない、と断罪して調査すらせず、墓苑のモニュメントで責任をうやむやにする。
皇統は遥か先祖まで拝みながら、庶民は「死んだら用なし」なのだ。
この皇統や政府、為政者の残酷さを体現するような、恐ろしい施設に見えて仕方がない。

いくらきらびやかな地位であっても、血が流れる人間のはず。
その人間のひとつが選ばれて、「昔の人間の都合」で最高位の序列をつけられた。
そして脈々と受け継がれて誇るものは、その血筋の善政ではない。

かつての善政に国民が心を寄せて支持するわけでもなく、国家があらゆる機会にマスコミや教育で「なんとなくすばらしい人間」と刷り込み教育してきただけだし、自慢できるのは単に「その血筋の長さ」だけだろう。
しかしこの文章を読んでいるあなたも、同様に長い血筋の果てに現代を生きているのだ。皇統と違うところは、現代までの血筋の「名前」がよく分からないだけだ。生きている人間としての営みにおいて、皇統が尊いとは言えない。
庶民ですら、いまここで生きている以上、同等の年月の先祖が居るのである。箔を付けるために存在のよくわからないモノで起源を装飾する、このような馬鹿げたことをしていないだけ、庶民の血筋の方が尊いだろう。

さらには、庶民は「国難」を招かない。しかし昔から、庶民は国難の度にいのちを削り、切り刻まれ、擦りおろされてきた。

可良己呂武からころむ
須宗尓等里都伎すそにとりつき
奈苦古良乎なくこらを
意伎弖曽伎怒也おきてぞきのや
意母奈之尓志弖おもなしにして

――私の服の裾に取りすがって泣く子供たちを、
(あの子たちにはもう、守ってくれる母親もいないというのに)
残したまま、私は遠い死地へ来てしまった。

遥か昔の万葉集の時代から、やんごとない人間はいのちを護られ、
庶民はいのちも人生も、その供物にされる。

侍従は、戦争責任を問われ「辛い」と漏らす裕仁に対して
こう慰撫いぶする。

「もう過去の歴史の一こまにすぎない。」と。

高みにいる人間そのものだけではなく、とりまきからでさえ
庶民の「いのち」はこの程度の認識なのか。

明治に作られた軍隊手帳の冒頭に書かれている文章:

――死ハ鴻毛ヨリ輕シト覺悟セヨ

皇統にとって庶民のいのちは、
勅諭にして鳥の羽よりも軽いとまであしらわれ、それを手帳にまで示される。
ここまで追い込むようなことをされては、死に直面した若い男の子たちは、「苦しい、辛い」と声にすることすら許されない。

それをいいことにか、死ぬる後には、裕仁はおろか、その部下までもが、庶民を下に見るようなことを平然と吐く。

裕仁の決めたことでいのちを奪われた者は、国民である。彼らは、人間として価値がないとでも言うのか。

戦後8月が来るたびに周年が繰り返され、
その度、戦争は「遠い出来事」になる。

慰霊式典では、戦争を決めた皇統を高いところに据えたまま、
戦争を決めた皇統こそ、ひとり反省せねばならぬはずなのに、
その戦争で苦渋をなめた被害者そのものである先祖をいただく国民にまで
「戦争の反省」を要求し、
「戦争はもうしません」と

一緒に頭を下げさせられる。

そもそも庶民たちの誰が
「人様の国の領土を、資源を、『大切な家族のいのちを差し出してまで欲しい』」と
願っただろうか。

プロパガンダを巧妙に準備して、勇ましい掛け声を発していたのは誰か。その声を拡幅して、社会の隅々まで差別と偏見を染み渡らせて「敵」をこしらえ、「戦争しかない」と洗脳したか。

そして戦争に反対する人間に「非国民」などという残酷なレッテルまで用意し、この世から排除させたのは誰か。

庶民の苦しみや、家族を失った悲しみを招来させておきながら、ずっと自分とその親族だけ豪奢な食事をして、戦争ゲームに明け暮れていたのは誰か。

さらには責任の巧妙な「隠蔽工作」。

特別攻撃を命令した側の人間が
「特別攻撃隊の隊員たちの代表」として腰を据える。

「ご英霊」だと「戦争の被害者」を祀る役を担う者たちが、
回り巡ってきた幣帛料なる「庶民の血税の分配」を喜び、
「国民を殺す道を決めた側」により深くかしずく。

この矛盾を当時の人間はおろか、現代人までも気が付かせない「国のかたち」。
そして、何十年も時間が経過した。

このような世界が続くようでは、戦争が正当化されて、若者の戦死を意味づけし、
さらには、過去の物語も改変しつつ再利用しながら「庶民を好き勝手に『活用』する」社会が再来しても
何らおかしくはない。

求められることは何か。

国の代表も象徴も庶民自身の側に置かれること。
特定の血脈の独占や、密室で決まる「権力の選抜」「権力の専制」を許さないこと。

庶民も権力に白紙委任しているか自問し、
自らの運命を自らで決し得る社会にする努力を地道に続けること。

これをしなければ、再び国が庶民を供物にする、
自分たちを踏みにじる生活を矢継ぎ早に繰り出して、それに怯え続けなければならない政治がやってくる。
そして、それがあたまをもたげてこちらを向いている。どうして気が付かない。

死後に待つ人たち

アメリカの世界支配の思惑で放たれた一瞬の閃光。浴びてはいけない光を浴びさせられ、焼き殺された方々。
大事にしてくれる両親を奪われ、社会を彷徨さまようしかなかった子供たち。
郷里から切り離されて、異国で虐げられた外国人たち。
両親と自分のルーツを求め、言葉を忘れた「祖国」へ訪問する、かつての幼き日本の子供たち。

こころにも身体にも大きな痛みと傷を伴う人生は、
宣戦布告がなければ決して、あり得ないものだった。

あまたの「生き得たはずの人生」が、
「普通に人生を送るはずだった生涯」が中断させられ、
生き得た人たちにも熾烈な人生が待ち構えていた。

言葉で表せない程の辛酸を嘗めさせられた方々は、
数百万では到底収まらない。
人間はつながりで生きるのだ。生き残った方々が、ご子息を、配偶者を失くし、
どれだけ途方に暮れられたことだろうか。

そして失われた、人間らしいつながり。
死した方々のつながりの先にある人々、敵に仕立て上げられた人たちのつながり。
そして未来に出会うべきだった方々の縁をも含めれば、
「人間らしい人生」を奪われた方々は、数千万人に及んでも何ら不思議ではないだろう。

彼らは望みもしないのに、浴びせられた悲惨なお姿のまま、場合によっては人の姿を為すこともままならず、
予定していたよりもずっと早くに、霊の世界へ連れて来られる。

その、肉体を地上に捨て、人間が生を終えてやってくる世界。
先に死ぬる道筋をつけられた方々が悲しみいるところへ、やって来るのが

人様を虐げた人間、
部下のいのちを下敷きにした人間、
他人の痛みに無関心でいた人間たち、
自分だけが生き延びればそれでいいと、行動に移した人間たち。

「現世で何ら責任を取らなかった、国民を殺戮に大きな働きを為した血統」もまた、やって来る。
彼らは「人間だ」と自白した。人間である以上、地上の基準そのままに特別枠なんてあるわけがない。

人様の「いのち」を粗末にした人生を送った連中には、そこに「居場所」があるのだろうか。

関行男海軍中佐に特別攻撃の道をつけた者たちの罪は、
そして戦争が終わるまで誰一人として、このような惨いことはやめようと言わなかったことの罪は、
大元帥が国民のいのちを、国を護らんとする尊き魂たる将兵たちのいのちを、
死ぬことが仕事と言わんばかりに殺戮したことの責任は、
そしてなにより「開戦を決めた」「国民を死地に追い込んだ」ことの責任は――
もう現世では、誰も問わない。裁く立場が戦争を招来させた。だからこそうやむやにして無視を決めこんだ。
「敵」とさせられた、外国のあまたの方々に対しても。

お母さん方は、生きていらっしゃっても、位牌となった息子の写真をご覧になられては悲嘆に暮れ、
最低限のくらしさえ保障されぬまま、生活に行き詰まられた。
息子と過ごした日々を積み重ねた土地に暮らすことすら世間は許さず、
関行男海軍中佐のご母堂様は、ご縁のなかった山深い村で生涯を終えられた。

お母さん方のこの苦しみそのものの記憶が、「ご自身のご生涯そのもの」であり、
罪人でもないのに、辛い過去が烙印らくいんのように消えないのであれば、
あまりにも理不尽で残酷ではないか。

戦争で辛酸を舐めさせられたあまたの方々が、
それも早くに地上を追い出された方々がいらっしゃる霊の世界で、
息子や主人のいのちを奪い、またその道筋をつけたかつての人間は、
いのちを奪われたご本人はもちろん、そのご遺族にどう言い訳するのだろうか。

関行男海軍中佐に特別攻撃を命じた人間は、そして愚行を追認した裕仁は、
関行男海軍中佐のご母堂様に、どういう言い訳をするのだろうか。
そもそも、顔を向けることができるのだろうか。

遺された「戦争がない時代」

「平和」という言葉ほど、
輪郭のはっきりとしない概念はない。

ただ「戦争という状態であるか否か」という現実だけがある。

戦争になる、ということは
「そのスイッチを握る者が存在する」ということ。

国難だというのに、その「国難」に立ち向かわされるのは庶民だけ。
なぜか「見下ろすだけでよい人間」がいて、
心配している素振りを見せるだけでいい。

庶民が一番死ぬるのに、
庶民の手の届かないところで切り替えられる。

庶民がよそ事に目を向けている間に周到に戦争の準備が進み、
報道はそれに無視を決め込む。

新聞も、テレビも、思惑を隠しながら、巧妙に隣国を「外敵」に仕立て上げてお膳立てをする。生活苦の理由を「悪政が原因」と一言も言わない。雇用、賃金、文化や教育…すべては政治のさじ加減次第で、庶民を豊かにさせられるし、窮乏させて経営側に有利な社会展開にもできる。
ただ、現在の状況は、国民にカツカツの生活をさせ、物価上昇も放置して、生きるのに必死にすることで愚民に向かわせる。限られた収入の中から「生活を豊かにする」「教養を深める」ような支出は控え、「生きるのに必要な物品」へと購入の幅を狭めることは、政府にとっても都合が良い。そこへ単純化した嘘仕込みの情報を無料で浴びせることによって、政権のやっていることから庶民の目をらせることができる。それに社会不満を「外国人のせいだ」と畳み掛ければどうなるか。不安を煽ればどうなるか。
とすれば、次はいよいよ他国へ「成敗」しにいくのだろうか。政府から「呼びつけ」られたら飛んでいくような大手の新聞社。自主独立で敢然と政府を批判し、庶民や社会弱者の救済に努力しているとは言い難い醜さ。
――そもそも、真実を伝えることを報道機関は何度放棄してきたことだろうか。わざと「どうでもいいニュース」に紙面や時間を割いて。

そして、庶民の視線が「どうでもいいこと」に釘付けにされているその隙に、
社会では何が起きたのだろうか。

スイッチが切り替わる。

我々の先祖はそれを体験させられた。

体験させられたがゆえに、この世にいることができなくなってしまった。

供物にされた国民は、「国体」とやらで護る対象にすらしてもらえない、という
強烈な教訓を遺して。

我々が生を享けたのは、赤の他人に忠孝を押し付けられ、愛しい人に愛情を注げないような道筋と、
死んで来いなどという無茶苦茶の善悪すらわからないような人間が国を統べる、
これほど非情で頼りない世界。

戦争がはじまる。
「特別攻撃隊」は、若者たちのいのちそのものが兵器の部品に使われ、敵のいのちを狙え、殺せ、そしてそのまま自分も死ね、と命令された。
そして、敵とされた相手の国の国民も、いのちを護るために迎撃せよ、敵のいのちを狙え、殺せ、と命令された。
そして究極の悲惨さが、裕仁の吐いた「よくやった」という言葉。皇統に貼られた「国民の親」というレッテルも、ものの見事に剥がれ、為政者たちはみな「傍観していただけ」だということ。

いよいよ、人を殺すことの自動化・機械化が実現した。
誰の人生も、誰の名前も、誰がどんな人間だったのかも、そしてお母さんがどれほど彼らの生まれたことを喜び、この瞬間を悲しんでいることも無視して、
機械はあたたかい血の発する熱だけを頼りに音もなく近づき、ためらいもなく、そのいのちを奪う。
そして人間のいのちや人生には一切の関心も示さずに、次の獲物へと移っていく。

若者が少なくなったこの国で、未来に戦争が起こりうるとき、ますます大惨事になる終幕しかみえない。機械が「人間のいのちの尊さ」など、理解できないのだから。

「国の体制を護るために」と煽られるのは同じ。そして窮地に追いやられるのは庶民。

このような時代には、自分よりももっと若く、経験を積む時間すらなかった人たちを引き連れて
「このように死ぬのだ」と手本を見せないといけない立場にさせられてもおかしくない。

やり方は違えども、関行男海軍中佐は、それをさせられた。そして配属された隊員様方も、戦果の乏しい作戦でいのちが奪われた。

どうして未来に決してそんなことは起こりえない、と言い切れるだろうか。

そして権力者や皇統が、国の行く末の責任を取って「直接武器を持ち戦って決着をつける戦争」というものも決してなかった。
この国も、相手の国も、庶民同士だけが、いのちを擦り降ろされた。老若男女問わず、憎悪のないところから周到に焚きつけられ、
庶民同士だけが、いがみ合わされて殺された。

売りさばかれる国民のいのち

戦死を強いられた若者たち。
その死の物語に箔が付き、
その時代の空気感が失われ、
遠い過去の物語となり、
誰もが戦争のことを封印したときこそ

為政者側に居ると信じる者たちにとっては、庶民の生命そのものを売り捌く、大儲けのチャンスだ。

関行男海軍中佐をはじめとした特別攻撃隊の方々も、
ほうぼうでいのちを踏みにじられ、将兵にされた庶民たちも、
みな、20世紀前半を生きた庶民だった。
彼らがその血と引き換えに後世の日本人にもたらしてくれたのは、
「戦争がない」という、ただそれだけの状態だった。

皇統や為政者が、本人はもちろんのこと、親や子、兄弟はおろか、親族もろとも、
一方的にいのちや食すら護られ、さらに子や孫まで作りながら、
方や、これでもか、これでもかと苦しみばかりが押し寄せ、
未来も希望も奪われて、自分のいのちがどこまで維持できるのかすら保障されない。

そんな「平等」や「人生の美しさ、素晴らしさ」の
対極ともいえる世の中を、
懸命に生きることを強いられた庶民たち。

その庶民たちに畏敬のこころを抱き、
「戦争がない」という、ただそれだけの状態が、どれほど尊く、有難いものか、
そしてこのいのちと引き換えの教訓と幸せを、そっくりそのまま後世の人たちにも、手渡してあげたい、
そう願える人間であるかどうかが、問われている。

そして、政治を司る輩たちは、そしてその子孫は、そもそも永遠にその場にとどまり続けることなどできないこと、今日みずから決めた法律によって、いつか自分の子孫がいのちを晒さねばならなくなること――そんな当たり前のことを、理解することができるか。自分の子孫が、自ら決めた「いのちの売り捌き」の対象となったとき、「先祖が決めた横暴」を、「先祖の存在そのもの」を、恥じることはないか。そう問い続けながら、庶民のいのちに寄り添えるか。死した後もなお、いのちを換金した罪そのものを背負い続ける覚悟があるのか。

それが、問われている。

自らの先祖たる将兵方から、
そして未来、この国に生を享ける人たちから。

「『庶民だけに』生きる死ぬるの苦しみを強い、
周辺国の国民をも巻き添えにする戦争を決めた『皇統』や、
無批判にそれに従属し、国民のくらしを締め上げる『国体』」を、
いのちを賭けてまで
家族のいのちを差し出してまで
庶民が護り、維持するような値打ちは
これからもあるのだろうか。

そして、
自ら戦禍をもたらしながら
いのちの危機が迫るや
国民のいのちを盾とし、自己の血脈の維持を優先するばかりか
庶民には苦難と辛酸のみを 高みから畳み掛けた皇統に対して、
子孫ばかりか新しい世代の国民が、
――盲目的に日の丸の旗を振り、
「スメラギイヤサカ」などと唱える姿。

軍人さん方兵隊さん方を「ご英霊」とまで持ち上げながら
加害者と両天秤に掛けるどころか、
庶民より加害者に重きを置く祭祀を行う神社。

苦しみに満ち溢れた人生を送られた 軍人さん、兵隊さん方、
戦禍に受け身になるしか術がなかった、かつてのこの国の庶民の方々、
そして理由なくその戦争の被害に巻き添えとなられた周りの国の方々は、
どうご覧になられることだろうか。

関行男海軍中佐のご母堂様が、送られた
故郷の西條にあるいくつかの神社のお守り。
お母さんのこの願いと祈りは
神であり、親であったはずの為政者たる皇統には通じなかった。
神でも親でも何でもなかった、ただただ庶民の上に重しのように居座って
血税で贅沢な暮らしをするだけの存在だったから。

この同じ悲しみと苦しみを
後世のこの国に住む、庶民の親と子が
経験するような道筋が、いま、着々と進められている。

いのち奪われた、あまたの庶民の尊厳のために

ここは告発の場でもなく、
しかし、沈黙の場でもない。

敬意をもって、尊厳を擁護し、
怒りをもって、構造を見据える。

上辺だけでない「いのちの尊さ」を知ろうとする人たちに

ここに記された「しゅんれつな表現」ですら
「奪われた、いのちの輝きの『哀しみと尊さ』を代弁するに到底足りぬ」、
そう思える人たちに。

いのちの尊さと人生を考えるために

――関行男記念館

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