はじめに ―― 新しい「戦前」に抗うために
戦争を起こし金儲けをしようとする奴が必ずいる。
Twitter はだしのゲン/中沢啓治Bot
そんな奴は国を守るためとか、日本のためとか、勝手な理由をつけて戦争に駆り立てるが、騙されるんじゃないぞ(中沢啓治『拍子木の歌』より)
今、わたしたちの周りでは再び、血なまぐさい妖怪が甦ったかのような報道が飛び交い始めています。軍事増税を一方的に決め、周辺国へ不穏な言動を発しては撤回せず、身内からは核戦争の準備を示唆する発言まで飛び出す。首相となった人間の仕事は、戦争の支度をすることなのでしょうか。自らの言葉が持つ、取り返しのつかない重さを理解しているのでしょうか。
わたしは今、強い危機感の中にいます。 かつて、若者たちの尊いいのちが「国のため」という言葉一つで、まるで消耗品のように扱われた時代がありました。その過酷な時代の象徴とも言えるのが、日本初の特別攻撃隊「敷島隊」の隊長を命じられた関行男海軍中佐です。
なぜ、「戦争がないこと」を希求するはずのオンラインミュージアムで、このような厳しい社会情勢や統治体制を語るのか。それは、戦争は「ある日突然始まる」のではなく、言葉が荒廃し、いのちの価値が軽んじられる「空気」の中から、じわじわと、しかし確実に準備されるものだからです。
戦争という、庶民にとっては苦しみと哀しみしか生み出さない惨禍を繰り返さないために。 今、この時を「新しい戦前」にさせないために。 そして、若者や国民すべての生命が、再び皇統や支配層、権力の下敷きになる世の中を拒むために。 願いを新たにせずにはおられません。
関行男記念館が、皆様方の思索の一助となれば幸いです。
引き裂かれた母子の絆 ――「軍神」の鎧を脱ぎひとりのこころある人間として
太平洋戦争の末期、多くの優秀な若者達が生きながら「死んでこい」と命じられた「特別攻撃」が始まり、裕仁がこれを制止することなくむしろ「よくやった」と追認したことから、終戦までに6,000名もの尊い生命が奪われました。
人間を部品として使い捨て、自国の軍人に想定もしない死を強要する無茶苦茶が生まれた根底には、開戦を決めた裕仁が『この国に不足する資源をよそ様の国から奪う』ことからはじまり、自国民のいのちを下敷きにすること、そして他国の人々のいのちを奪うことすら軽く考えていたことにあります。
国の資源が底を尽き、多くの国民のいのちが霊へと変えられてもなお、『勝ち戦をしたい』という妄執にしがみついた裕仁の思惑に適うよう発案され、推進されたものなのです。
この無茶苦茶な作戦を最初に押し付けられ、1944年10月25日に亡くなられたのが最初に編成された特別攻撃隊の隊長、愛媛県西条市ご出身の関行男海軍中佐と、彼が率いた敷島隊と名付けられた部隊の隊員様方です。
関行男海軍中佐は、未亡人となったご母堂様が、女手一つで懸命に慈しみ育て上げられた、たった一人のご子息でした。
次々と斃れゆく国民を尻目に、関行男海軍中佐がご散華されるやいなや、そのご戦歿は「国民の厭戦気分の封じ込め」に使われました。従属する報道機関を最大限に活用して、引き裂かれた親子の深い情愛を「軍国美談」へとすり替え、「軍神」と「軍神の母」という偶像にし、新聞や雑誌、ラジオなどで「軍神に続け!」ともっともっと苦しい戦況へと国民生活を奈落の底に突き落とすための材料にしたのです。
「命令によって自国の軍人の生命を自国の軍が殺しにかかる」ほど追い詰められた戦況でありながら、裕仁が速やかに負けを認め敗戦を決定しなかったことで、どれほど多くの国民と周りの国の国民が犠牲となったことでしょうか。さらに恐ろしいことには原子爆弾が世に姿を顕すことに手を貸した結果となりました。
これは、国民を犠牲にした盾に護られておりながら、裕仁が自分と皇統さえ安泰であればよいという考え方と、皇統の血脈維持が国民の死や苦しみに優先するという考え方のあらわれであることを如実に示すものです。
そして敗戦。マスコミもGHQからの廃刊命令を恐れて戦争、特別攻撃、そしてご遺族の苦しみすら否定するような報道で社会を扇動します。孤独となられたご母堂様は、広告塔にされて注目を浴びたばかりに、ご子息の死すら理解されず、西条のまちの人たちから迫害されて息も詰まるような社会にひとり放り出されました。
特別攻撃隊の隊員様方は、生と死にまたがるご存在です。
関行男記念館は、その端緒として隊長を命じられた関行男海軍中佐、特別攻撃隊の隊員さん方、そして苦難の末戦争で生命を奪われた数多の方々と、西条のまちを追われ、石鎚山麓の小学校で用務員として働きながら、静かに、しかし毅然としてご子息を想い続けたご母堂様のご生涯を通して、国家の無慈悲によって奪われた「いのちの尊さ」を考え、「いのちのありがたさ」、ひいては「生きるとは何か」「死ぬるとは何か」を問いなおすきっかけとしていただくために開設されました。
更新情報・お知らせ
- お知らせ 随時更新しています。石鎚小学校の掲示からお越しいただいた方、関連の記事は、こちらです。
- 2026. 1. 25
- 静まりかえった石鎚村のタイトルを"静寂の石鎚村 ―― 消えゆく「村と関行男海軍中佐のご母堂様の記憶」"に変更し、加筆しました(たくさん)。
- 2026. 1. 20
- このページに以前書かれていた内容は、ご挨拶へ移動しました。
- 2026. 1. 19
- 関行男海軍中佐のご母堂様の苦しみのうち「母の碑」について追記しました。
- 2026. 1. 18
- 静まりかえった石鎚村、関行男海軍中佐のご母堂様の苦しみを加筆しました。また当館は長文のページが多い中で、「ご紹介リンクを閲覧してから戻ったとき」や、「ページの再読み込み」をしたときに、ページの先頭に飛ばされる(特にページの下の方だと不便極まりない)挙動について、前に見ていた位置へ戻れるよう修正を施しました。
- 2026. 1. 16
- 静まりかえった石鎚村、関行男海軍中佐のご母堂様の苦しみを加筆しました。
- 2026. 1. 4
- 特別攻撃とはを加筆しました。
- 2026. 1. 1
- あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。
このページの『はじめに』を加筆しました。 - 2025.12.30
- このページの『はじめに』を加筆しました。
- 2025.12.28
- このページの『はじめに』を更新し、原子爆弾による大量殺戮を加筆しました。
- 2025.12.26
- 戦争の本質を加筆しました。
- 2025.10.25
- 「哀悼の誠を捧げる」なんて、どうしてこのような仰々しく、いかにも自分が偉いような、もったいぶった表現が流行っているのだろう。たかが人間、ただただ祈ることしかできないのに、それを「誠」と自分で持ち上げることに恥ずかしさはないのだろうか。
それが、自分たちよりももっともっと苦難に満ちた人生を送られ、その時代を引き受けてくださった方々に対してなのですから、ただただ傲慢にしか思えないのです。
昨日上京しました。靖國神社にて関行男海軍中佐、敷島隊の隊員様方、そしてあまねく自国と他国、ことこの国の皇統が「敵」として踏みにじった数多の戦争の犠牲となられた方々の魂のご安寧をお祈りしました。 - 2025.10.19~25
- ご戦歿から81年81年前の10月19日、関行男海軍中佐が敷島隊と名付けられた特別攻撃隊の隊長に任じられます。21日から敵迎撃に出撃されましたが、出撃されれば敵艦影見当たらず帰投される、これが5日間連日におよびました。
通常ならば「生還できて良かった」と言える戦いが、「死んでこい」が命令であったということ。霊にならなければ解放されないということ。
関行男海軍中佐も敷島隊の隊員様方もどれほど肉体的にも特に精神的にもご疲弊され、苦しくいらっしゃったでしょうか。2025年はご散華されて81年目にあたります。 - 2025.8.29
- お誕生日関行男海軍中佐のご生誕日(1921年 8月29日)でした。

今年は熊本県菊池市でお祝いしました。, 2025.8.29 - 2025.5.27
- 関行男記念館開設
- 2025.5.13
- noteから記事の移動作業
記述・表現の峻烈さについて
峻烈な表現を用いている記述がありますが、これらはあえて削ったり柔軟な表現に言い換えたりしておりません。かつて、社会への遠慮から誰も声を上げなかったことが、結果として権力の横暴を許し、『いつの間にか戦争』が始まる土壌を作ってしまったからです。 その果てに、名もなき庶民が命を奪い合う時代が到来したという歴史の教訓を、忘れてはならないし、伝えていきたい。
特定の個人を攻撃することを目的ではなく、史料と対峙し、個人的な思索の結果として思い至った「切実な心情」をありのままに提示する ―― 。これら峻烈な言葉の向こうにある「生命の尊さと人生を考えていただく」という大きな目的のために、当館は開設されました。ご理解いただければ幸いです。
当館の歩き方
画面上部にある案内スイッチの使い方です。携帯端末では常に表示されています。PCやタブレットでは、読み進める間は画面を広く保つために隠れますが、少し上へ戻していただければ再び現れます。
文字の大きさを変える
本文の文字を三段階で調節できます。ご自身にとって読み進めやすい文字の大きさをお選びください。
背景の色味を変える( / )
まわりの明るさやお好みにあわせて、背景の明暗を切り替えられます。目が疲れにくい色味をお選びください。
:背景を暗くします。この印は、明るい背景でご覧のときに表示されます。
:背景を明るくします。この印は、暗い背景でご覧のときに表示されます。
館内の調べものができます()
お調べになりたい語句が使われている館内のページを調べます。上のを押していただくと、館内の調べものができますページをご案内します。
館内のご案内(/ / )
ご案内画面の表示(スマホ、タブレット)
:別画面にて展示のご案内をいたします。もし操作が難しい機種の場合は、各ページの下側にございます館内のご案内をご利用ください。
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:画面を二列の構成とし、本文の右側にご案内を表示します。このスイッチは、画面が一段で表示されている際に現れます。
:画面を一段の構成とし、本文の下側にご案内を表示します。このスイッチは、画面が二列で表示されている際に現れます。
館内ご案内の見方
1. 上段にはその展示のご案内、下段には当館全体のご案内を掲示しております。
2. ▶の印がある項目を押すと、それぞれの展示内容をご紹介します。すぐ下の同じ項目は、展示内容の解説を記した入口でございます。
道に迷われたときは( )
画面の右下に、上を向いた矢印
がございます。これを押すとページの一番先頭へご案内します。
また、いつでも「関行男記念館」の題字を押していただければ、当館の入口(このページ)へと戻ることができます。
謝辞
このページの「ご戦歿された兵士の帰還」の画像は、せんだいメディアテークに申請し、掲示のご許可をいただきました。