「志願かどうか」に囚われる現代人
特別攻撃。なにが「特別」なのでしょうか。そして、志願なのか命令なのかと現代人はそこで逡巡します。
しかし、それこそが「殺しにかかった側」の思惑であろう、と思うのです。「悠久の大義」という美辞麗句で死を強要したのは誰か。それは何のために。「隊員様方の葛藤」という視点から紐解き、彼らのこころ、苦しみ、そしていのちの重さを考えます。
亡くなられた方々の苦しみにこころを寄せていくうちに、時代の構造や責任の所在を曖昧にすることは不誠実であると考えるに至りました。関行男記念館で、峻烈な表現をあえてそのまま提示しているのは、そのためです。
特定個人への攻撃や賛同を意図したものではありません。読むに耐えなければ、いつでも中断してください。
特別攻撃。なにが「特別」なのでしょうか。そして、志願なのか命令なのかと現代人はそこで逡巡します。
しかし、それこそが「殺しにかかった側」の思惑であろう、と思うのです。「悠久の大義」という美辞麗句で死を強要したのは誰か。それは何のために。「隊員様方の葛藤」という視点から紐解き、彼らのこころ、苦しみ、そしていのちの重さを考えます。
大正時代に生まれた方々が成人を迎えたとき、統治者は「国民のいのちを慈しむ」ことがありませんでした。
苦労に苦労を重ねて育て上げられた息子たちが、どれほど地上から消えていったか――人口統計がリアルに語りかけます。
大分県津久見市ご出身の中津留達雄海軍少佐は、終戦を控え上官の配慮により故郷の部隊に異動になります。
しかしそこに赴任した司令官は「死んで責任を取る」ため、終戦の詔勅が出たのにも関わらず、中津留達雄海軍少佐と彼の部下たちに特別攻撃を命じました。
若い20名近くの彼らは戦争がない世の中を目前に殺されどれほど無念だったか、そしてこの世に遺してくださったものを考察します。