大正生まれの若者たちに何が起きたか――人口統計が語る残酷な現実
表現の峻烈さについて
亡くなられた方々の苦しみにこころを寄せていくうちに、時代の構造や責任の所在を曖昧にすることは不誠実であると考えるに至りました。関行男記念館で、峻烈な表現をあえてそのまま提示しているのは、そのためです。
特定個人への攻撃や賛同を意図したものではありません。読むに耐えなければ、いつでも中断してください。
子育てにご苦労を重ねた末に
食糧もまともに手に入らない時代が長く続き、どの家庭でもお母さんは子供の養育に大変なご苦労をなさいました。お母さんご自身が空腹であっても、「お母さんはお腹いっぱいだからお食べ」、と懸命に我が子を育てられました。
当時、結核などは治療法がなく1939年当時の結核死亡者は年間十数万人で死因の首位を占め、人口10万対の死亡率は200を越えていました。また医療制度も不十分で、国民健康保険制度も自治体に任せられていたため、多くの国民は全額実費負担で医療に掛からねばならない時代でもありました。
山形県角川村(現在は戸沢村)では、1934年の大凶作で水稲被害が九割九分に上り、被害を打開するため、1936年に角川村保健組合を発足させた。この組合は共助の精神により村民の出資で設立されたもので、現金収入の無い人は農作物や山菜を供出することもできた。そして発足から2年後の1938年8月20日に国民健康保険法の下で認可された国民健康保険組合第1号となった。
子育てがどれほど困難な時代だったか、というのは以下の年齢階層別の統計でも見てとることができます。5歳刻みですが、生まれた子供の10人にひとりふたりの割合で幼くして亡くなってしまう現実があります。また苦労されて子供を育てられたお母さん方がどれほど悲嘆に暮れられたか、と言うことに注目して戴きたいと思います。
ご戦歿された方々は大正生まれが群を抜いていますが、お生まれになった時期を遡ってみると、子育ても大変困難な時代でもあり、お母さん方も必死でした。このように苦労に苦労を重ねて育て上げられ、ようやく成人された男の子たちの生命を、皇統、裕仁が片っ端から握り潰していった、ともいえるのです。
大正時代の子育ての難しさは人口統計からも垣間見える
大正時代後半の年齢階級別男子人口(単位:千人) 年齢階級 1920年
(大正9年)
国勢調査1921年
(大正10年)1922年
(大正11年)1923年
(大正12年)1924年
(大正13年)1925年
(大正14年)
国勢調査1925年
(大正15年)1927年
(昭和2年)1928年
(昭和3年)1929年
(昭和4年)1930年
(昭和5年)
国勢調査1931年
(昭和6年)1932年
(昭和7年)1933年
(昭和8年)1934年
(昭和9年)1935年
(昭和10年)
国勢調査0〜4歳 3,753 3,821 3,915 4,027 4,145 4,160 4,286.5 4,373.5 4,449.0 4,494.5 4,543 4,583 4,619 4,668 4,680 4,714 5〜9歳 3,467 3,492 3,469 3,429 3,373 3,491 3,547.7 3,639.6 3,757.8 3,894.2 3,915 4,028 4,127 4,189 4,261 4,303 5〜9歳 / 0〜4 歳(%) 92.38% 91.39% 88.61% 85.15% 81.38% 83.92% 82.78% 83.22% 84.48% 86.64% 86.18% 87.89% 88.35% 89.74% 91.05% 91.28% 総数 28,044 28,412 28,800 29,177 29,569 30,018 30,521.3 30,981.5 31,449.1 31,880.6 32,390 32,899 33,355 33,845 34,294 34,734
端数は、統計の欠損を統計的に処理されたものです。
これがどう言う意味を持つか、といえば、当時のお母さん方がどれほどまでにご苦労され、また覚悟をされて子供を産み育てられたか、ということ。また、たくさんの子供が死んでしまうような社会であったので、子沢山の家庭が多かったという理由にもなります。
受難の兵役年齢 ―― 大正生まれの若者たちに待ち構えていた「宣戦布告」をする最高責任者の治世
開戦前後の年齢階級別男子人口(単位:千人) 年齢階級
(満年齢区分)1930年
(昭和5年)1935年
(昭和10年)1940年
(昭和15年)年齢階級
(数え年区分)1944年
(昭和19年)1945年
(昭和20年)1946年
(昭和21年)総数 32,390 34,734 35,387 総数 34,625 33,894 34,905 0 〜 4 歳 4,543 4,714 4,623 1 〜 5 歳 4,417 4,683 3,976 5 〜 9 歳 3,915 4,303 4,466 6 〜 10 歳 4,453 4,339 4,415 10 〜 14 歳 3,437 3,877 4,244 11 〜 15 歳 4,388 4,366 4,386 15 〜 19 歳 3,319 3,351 3,671 16 〜 20 歳 3,836 3,849 3,977 20 〜 24 歳 2,815 3,037 2,300 21 〜 25 歳 1,778 2,024 2,791 25 〜 29 歳 2,481 2,670 2,579 26 〜 30 歳 1,828 1,604 1,811 30 〜 34 歳 2,175 2,379 2,445 31 〜 35 歳 2,042 1,806 1,990 35 〜 39 歳 1,857 2,093 2,241 36 〜 40 歳 2,177 1,983 2,093 40 〜 44 歳 1,688 1,768 1,969 41 〜 45 歳 2,138 2,047 2,026 45 〜 49 歳 1,525 1,591 1,645 46 〜 50 歳 1,863 1,830 1,899 50 〜 54 歳 1,411 1,404 1,454 51 〜 55 歳 1,533 1,506 1,575 55 〜 59 歳 1,086 1,255 1,240 56 〜 60 歳 1,326 1,290 1,300 60 〜 64 歳 820 917 1,049 61 〜 65 歳 1,096 1,005 1,023 65 〜 69 歳 577 630 703 66 〜 70 歳 843 775 790 70 〜 74 歳 404 394 421 71 〜 75 歳 500 463 509 75 〜 79 歳 222 225 216 76 〜 80 歳 265 215 222 80 〜 84 歳 89 95 91 81 〜 85 歳 141 84 93 85 歳 以上 26 30 31 86 歳 以上 26 28
年齢区分については、戦時中の統計は数え年で集計されています。このため、特に満年齢から数え年に移行する際の統計は完全に同等の対象者としての比較はできません。
太字は、39歳(40歳)未満で、200万人未満となる人口区分を示す。
1919(大正8)年から1923(大正12)年に生まれた戦歿者が全戦歿者の44%(領議門様のTweet)
全戦歿者の44%が1919(大正8)年から1923(大正12)年生まれ。大正生まれに範囲を広げると、全戦歿者の88%をも占める(領議門様のTweet)
20歳から35歳までの男子人口が激減していることがわかります。
最初にご提示した、0歳から4歳までの人口が、20歳になるまでも何十万人も減っている。
その上に「宣戦布告」を最高統治者が行ったおかげで、適齢期の男子に「戦死命令」というべきものが下され、これだけ多くが殺されて地上から消えてしまったのです。
病気や障害を負ってお生まれになった方々は、徴兵検査で肩身の狭い思いをされる。無理やり日本人に編入された方々は差別に苦しむ。
統計上「日本の人口」ということなので、占領地を含むかどうかまで明記されていませんが、これだけ減っているということ、そして統計からこぼれ落ちた方々も多くいらっしゃることは想像に難くありません。