関行男海軍中佐ゆかりの地
記述・表現の峻烈さについて
墓標を前に、亡くなられた方々に何を語ればその御霊が安らぐだろうかと、ひたすら思索してきたことをそのまま記述しています。オブラートに包まず、棘のある表現もあえて提示しているのは、個々の良心に基づく思索を深める一助にしていただくためです。
特定の個人や団体を攻撃することは、本意ではありません。また、内容に賛同いただく必要もありません。もし読むに耐えないと感じられた場合は、いつでも閲覧を中断してください。
関行男記念館が、時代や構造への考察を深める一助となり、こころの奥底にある良心へ静かに問いかける、そのような場であることを願ってやみません。
関行男海軍中佐のご神木
初めて訪問した愛媛県西条市の関行男海軍中佐の慰霊碑は、その慰霊碑の大きさとともに背後の「ご神木」に迫力を感じました。大樹にも生命あり、慰霊碑を護るような存在に見えました。夏は暑い日差しを遮り、風雨からも覆いかぶさるような護りの姿に見えました。
しかし今はいろいろな方が写真に収めたものでしか見ることができません。
関行男海軍中佐のご事績とゆかりの深い地をご紹介します。歴史の空気を感じ、いのちの尊さを考えます。
見学案内 ―― 当時のことに思いを馳せ、考えを巡らせるために
このページで関行男海軍中佐ゆかりの地や資料がご覧になれる場所をご紹介します。クリックをすると、関連のサイトをご覧いただけます。
ここにご紹介している画像や紹介しているサイトは、近辺や関連施設のものの場合があります。訪問した時点のわたしの個人的な所感を記述しています。
状況や展示の変更、またバス路線の廃止など状況は変化します。交通状況含め最新の状況をお調べください。
関行男海軍中佐ご慰霊碑
西条市立西条南中学校の南に、関行男海軍中佐と敷島隊の隊員様方のご慰霊碑があります。伊予西条駅からは西条大町郵便局に面した道を南下していくのが分かりやすいです。郵便局に隣接した西条市立大町小学校は、関行男海軍中佐の母校です。
【公共交通機関】
伊予西条駅からせとうちバス 常心バス停下車、徒歩5分程度。バスはIC不可・高額紙幣両替不可・現金のみです。
【お手洗い】
お手洗いは背後の加茂川沿いの土手を南下して、武丈公園まで行かないとありません。忠霊塔横にあったお手洗いは西条市が撤去しました。ファミレスのジョイフルが近く(国道11号線沿い)にあります。
▶クリックすると市作成の「新西条市のいいとこいいものさがし(西条南中学校区)」のページをご覧いただけます。ご慰霊碑の場所は27ページ青⑥、説明は33ページですのでご覧ください。
▶関行男海軍中佐のご慰霊碑のことについてはこちら<現在準備中>もご覧ください。
西条市忠霊塔
すぐ関行男海軍中佐のご慰霊碑からすぐ近く(関行男海軍中佐ご慰霊碑を正面に見て、左手にある芝生に面した川べり)に「忠霊塔」があります。
伊予三島市忠霊塔
(画像:Google Mapから引用)
関行男海軍中佐の本籍地、宇摩郡ゆかりの軍人さん方兵隊さん方のご慰霊碑です。
三島公園内にあります。松山自動車道土居と三島川之江の両インターの間の山べりにあって結構目立ちます(でも意識する前は全然気がつきませんでした)。
この地はもともと「宇摩郡」といいました。宇摩と四国中央、どちらがいい名前だと思いますか?
愛媛県立西条高等学校
関行男海軍中佐の母校(旧制西條中学校)です。
戦歿同窓生の慰霊碑が校門(陣屋門)を入って左手すぐにあります。碑題「遙なる故國を想ひて」は関行男海軍中佐が最後に友人に宛てた手紙に記されたもの(伊藤五百亀記念館企画展「伊藤五百亀彫刻展」の説明による。2025.8.11)で、市出身の伊藤五百亀の作品。学校施設内なので、施設管理者の指示に従って見学してください。
校門は関行男海軍中佐が学校に通われた当時の面影をのこして、現在も使われています。
夜の森公園
関行男海軍中佐の率いられた敷島隊の二番機、中野磐雄少尉の故郷にあります(当初「盤雄」と報道されたのは誤報です)。
原町にはもともと陸軍飛行場がおかれ、陣ヶ崎公園にご慰霊碑があるほか、格納庫や航空神社があります。
夜の森公園は小高い丘になっており、その一角に旧原町市ゆかりの偉人の胸像が並び、そのおひとりとして中野磐雄少尉の胸像、そして顕彰文があります。
甲種飛行予科練習生(第10期)として土浦海軍航空隊に入隊され、軍人としての人生を歩まれました。
残念ながらご遺族もいらっしゃらず、関係者も高齢で2014年で慰霊祭が途絶えています。
どうか機会があればご訪問・ご参拝戴きたいと思います。
(2025年5月21日撮影)
陸上自衛隊松山駐屯地
(画像:松山駐屯地ホームページ)
関行男海軍中佐のご母堂様が関行男海軍中佐のご無事を願ってお送りになられた地元西条市内の神社の御守など)が保管されています。
見学については事前に問い合わせてください。
遊就館
靖國神社境内にあります。「特攻作戦のはじまり」コーナーの中に「比島作戦」の項目があり、作戦の全体像の説明と、関係された軍人さん方のご遺影の展示があります。そのおひとりに関行男海軍中佐が紹介されています。
ご遺影は展示最後のご祭神コーナーにもあります。
海上自衛隊第一術科学校
旧海軍兵学校(=海軍士官学校)。関行男海軍中佐は海軍兵学校の第70期生でした。
見学ツアーのコースの最後に、海軍兵学校卒業生の期別集合写真の展示があります。
防衛省の広報施設や、一般の観光施設ではないので、見学ツアーの申込が必要です。
さまざまな制約もありますので、ホームページをお確かめください。
宇佐市平和資料館
宇佐海軍航空隊のあったところで、関行男海軍中佐もここで航空機の操縦訓練を受けられました。宇佐市は戦争遺跡を残すことに熱心で、市内あちこちに案内板と、戦跡散策ルートマップの大きな看板があります。ぜひご訪問戴きたいと思います。
資料展示の中で関行男海軍中佐のご事績に触れていることがあります(平和資料館の展示の中に関行男海軍中佐のことに触れた記述がありましたが、2024年訪問時には展示替えで撤去されている一方、宇佐空の郷の動画には登場されていました)。
特攻神社
出水海軍航空隊のあったところです。当地の説明板には、「特別攻撃隊の基地になるや、出撃された隊員様方全てがこの神社に使命の成功と国家の安泰を祈願して出撃されたと伝えられている。航空隊解体後神社も撤去されていたが、宅地造成時に台座が出現し、当地箱崎八幡神社宮司が1990年に建立した。ご祭神は関行男海軍中佐、金指勲海軍大尉、全国の特別攻撃隊散華命達。」とあります。
神風特別攻撃隊菊水部隊銀河隊が出水海軍航空隊、鹿屋海軍航空隊(鹿児島県)、築城海軍航空隊(福岡県)から出撃しており、金指勲海軍大尉(海兵第71期)が出水海軍航空隊の特別攻撃隊長であることから主祭神のお一柱として祀られています。
近くの特攻碑公園にはご慰霊碑のほか戦闘指揮所地下壕、哨舎(見張りをする兵が立番をする建物)が良好な状態で保存されています。(2024年10月2日撮影)
鹿屋航空基地史料館
海軍から海上自衛隊までの歴史を俯瞰できる教育施設です。海軍関係の特別攻撃でご戦歿された方々のコーナーがあり、関行男海軍中佐のご遺影やご事績の説明もあります。
知覧特攻平和会館
関行男海軍中佐が掲載された写真週報の実物が展示してあります。
主に陸軍の特別攻撃隊の隊員様方のご事績を伝える施設で、前身は知覧特攻遺品館といいました。海軍の資料も多くはありませんが展示があります。
隣接して知覧護國神社(特攻平和観音)が設立されていて、陸軍の特別攻撃隊の隊員様方のご慰霊・顕彰もされています。
【交通】
鹿児島中央駅から鹿児島交通「特攻観音入口」行き終点下車。鹿児島市内のバス路線は、途中までJRと路面電車が並走しています。
筑前町立大刀洗平和記念館
知覧は特別攻撃の前進基地となりましたが、大刀洗陸軍飛行学校知覧教育隊として設置されたものでした。この記念館は甘木鉄道太刀洗駅前にあります。
特別攻撃の展示は個人的な期待よりも少なめで、郷土史の観点からの大刀洗空襲や戦時の産業技術が主眼のように思いました。
特別攻撃の紹介の中で関行男海軍中佐の版画のレプリカが展示されています。大刀洗と太刀洗のゆかりを調べてみると面白いですよ。そしてこの記念館は筑前町にあります。