軍人さん方兵隊さん方のご遺書
記述・表現の峻烈さについて
墓標を前に、亡くなられた方々に何を語ればその御霊が安らぐだろうかと、ひたすら思索してきたことをそのまま記述しています。オブラートに包まず、棘のある表現もあえて提示しているのは、個々の良心に基づく思索を深める一助にしていただくためです。
特定の個人や団体を攻撃することは、本意ではありません。また、内容に賛同いただく必要もありません。もし読むに耐えないと感じられた場合は、いつでも閲覧を中断してください。
関行男記念館が、時代や構造への考察を深める一助となり、こころの奥底にある良心へ静かに問いかける、そのような場であることを願ってやみません。
ご遺書の書かれた背景を考える
特別攻撃隊の隊員様方が記されたご遺書。ご遺書を書かれたご本人にとっては、これは迫りくる最期のときに向けて、お別れの言葉として書かれ、ご遺族が大切に保管されてきたもの。
当然に見も知らぬ他人に見せることを意識されたり、ましてや後世多くの人に見られることなど想定だになさらなかったことと思います。
また、陸軍の特別攻撃隊の隊員さん方のご遺書は、知覧町に特攻遺品館を設立するにあたって、館長の板津忠正さんが「歴史の真実を後世に伝えたい」と収集に奔走されたものが、我々の目に触れられるのです。
しかし、海軍の特別攻撃隊の隊員さん方についてはご遺族からご遺書などを巻き上げるような経緯や、収集されても海上自衛隊の教育参考館や護國神社など、人目に触れないように死蔵され、預けた当時のご遺族が世を去られ、後世のご遺族ですらそのご遺書の存在すら知らない、わからないということもNHKの番組で触れられていたことがあります。
そうして我々が触れることができる特別攻撃隊の隊員さん方のご遺書は、そのなかのほんのわずかなものであって、それも検閲や重圧から「書かれたことが全ての心情でないかもしれない」ということを念頭に置くと、彼らの苦しみや辛さが浮かび上がってくるものと信じます。さらに、さまざまな書籍やインターネットで取り上げられてはいますが、きわめてプライベートなものであるということだ、ということを意識していただけると幸いです。
ご遺書以外の内容は、没入を妨げるため、初期状態では表示されません。わたしのコメントやTwitterで特別攻撃隊の隊員さん方のご経歴を、調べられた方のご厚意により再掲した内容です。お読みになられる場合は「コメントを読む」を押してください。また、このページは網羅を目的としたものではありませんし、特別攻撃隊の隊員様方に限定もしておりません。わたしの印象に深く残ったものを選んでご紹介し、また随時追加するものです。
この国内外を問わず、また皇統によって敵国とされた相手の国も含め、すべての軍人さん方兵隊さん方の魂のご安寧をお祈り申し上げます。
陸軍見習士官 佐藤淑雄様
身ヲ軍籍ニオキ大東亜戦争ニ際会ス。国家危急ノ秋、一片ノ護国ノ捨石トナルヲ男子一生ノ本懐ト観ズ。
余更ニ功ヲ願ハズ、只皇国軍人トシテ戦場ニ屍ト相果ツルヲ希フノミ。
陸軍少尉 二神孝満様
その後如何ですか
こちらへ来る途中松山の近くを飛んで来ました
お父さんお母さんと呼びましたがきこえましたか
一度でもよいから降りて一目逢いたかった
元気で行ってきます
お父さんお母さん呉々も御体を御大事に
永久に さようなら
海軍二飛曹 椎根茂様
白鷺隊の戦果が新聞に出た時は、私が真先に突込んで行ったと思って下さい。私も最後の親孝行として、椎根家の名誉として、驕敵米兵数千と、船一隻を必ず太平洋の藻屑として見せます。
必ずお父さん、お母さんと叫んで突込みます。
海軍二飛曹 佐山一様
父様母様お元気で
白木の箱が届いたならば
大した手柄はたてないが
泣かずにほめて下さいな
陸軍少尉 和田照次様
我等明日を恃みき
されど明日は
遂に来たらざりき
海軍中尉 西田高光様
大空に雲は行き、雲は流れり
星は永遠に輝き、久遠にきらめく
空、空
海軍中尉 杉本芳樹様
この道が戦場に通じ、その果ては米英の飛行機が雲霞をなし、砲弾が唸り、千の銃口がこちらに向いている。その中に突入するのだ。
まことそれは、二十年の生涯をこの一点に傾倒しての、己が全存在の燃焼である。
海軍中尉 小林富三雄様
いつでも、死ねる人間になれ。いかに修養を積んだと思われる人間も、すべての人は死に直面し、生死の間際にまごつくものである。死ということの、いかにむつかしい現実であることか、今さら認識せずにおられない。
海軍中尉 永尾博様
一、生を享け二十二年の長い間 小生を育まれた父母上に御禮申ます
一、親不孝の数々お許し下さい
一、小生の身体は父母のものであり、父母のものでなく、天皇陛下に捧げたものであります 小生入隊後は無きものと御覚悟ください
一、小生も良き父上、良き母上、良き妹二人を持ち心おきなく大空の決戦場に臨むことが出来ます
一、父上も好子、壽子を小生と心得御育み下さい
一、母上、父上の事末永く呉々も御願ひ申上げます
一、父、母上の、また妹の御健康をお祈り致します
父さん 大事な父さん
母さん 大事な母さん
永い間、色々とお世話になりました 好子、壽子をよろしくお願ひ致します。靖國の社頭でお目にかゝりませう
では参ります お身体お大事に
陸軍少尉 岡安明様
「美しき緑小島」
祖国の空は常に美しく
嗚呼この絶景の空を飛ぶ時こそ
吾れ幸福なり
吾れ悠久にこの美しき空にあり
空こそ明の棲家なり
陸軍少尉 高柳隆様
隆ハ笑ツテ死ンデ行ツタノデス。然シ決シテ死ニハ致シマセン、七生ヲ飽ク迄モ信ジテ居リマス。最後迄モ母上様ノ子トシテ、私ノ最期ヲ、心カラ喜ンデ下サイ。
デハ御元気デ、何時迄モ長生ヲシテクダサイ。
サヤウナラ
陸軍少尉 鈴木重幸様
私達にも若い血は流れてます。 好きな人も、思ふ人も、忘れ得ぬ思ひ出も多々あります。然しそれでは戦争には勝てません。美しい日本を何時迄も発展せしめ、米英の魔手から開放すること、それが吾々の喜びであり、又命日でもあるのです。
海軍中尉 田中正喜様
君がため 御楯となりて この命 捨つべき秋の 来るうれしさ
謝辞
このページで特に明記していないものは、Twitter 特攻隊員の遺書bot様公開のご遺書と、素戔嗚様が調べられたご経歴を紹介しており、掲載に当たってお二方の許可を戴きました。厚くお礼申し上げます。
特攻隊員の遺書bot様の公開されているご遺書のコメントをみると、定型文をあらゆるご遺書に貼り付けるだけの人が散見されます。死に際してどれだけ苦しい思いで書かれたかと思うのですが、どなたのご遺書でも、どのような苦しい内容に対しても、ただただ「英霊に感謝」や「英霊に敬意と感謝の誠を捧げます」など同じ文章、場合によっては絵文字一杯で、まるで作業のようにベタベタと貼り付けています。
やっていることは子供だし、中学校の先生が子供達の宿題を「みました」とスタンプを押していっているのと同じで、「感謝」や「敬意」どころか、ひとつひとつのご遺書に特段の感想を抱かない/抱けないのであれば、やっていること、これほど失礼な行為はないのではないでしょうか。