関行男海軍中佐の人生は、亡くなった方々へ思いを寄せることにつながりました。ご慰霊の旅から「いのちの尊さ」を考察します。 関行男海軍中佐のご事績に触れることができる場所のご紹介はこちらをご覧ください。
終戦の詔勅があり、妻子のもとに帰れる喜びを目前にした中津留達雄海軍少佐。しかし、敗戦の責任を取るため自殺しようとする宇垣は、操縦ができないために若い少佐と隊員さん方を道連れにしました。しかし、死んだから敗戦の責任から免れるわけではなく、さらに未来ある若者達の生命を奪うという暴挙をやったのです。隊長の中津留達雄海軍少佐は関行男海軍中佐の同期生です。少佐の苦しみと、そのなされたことを通していのちの尊さを考察します。
戦争で原子爆弾を用いたことはアメリカによる大量殺戮であり、戦争に名を借りた人体実験でもありました。身体の内外から3,000℃もの高熱で焼き殺され、生き残られても浴びてはいけない光線によって苦しい病を強いられました。ただでさえ苦しい生活をされていた市民がさらに追い詰められた、この惨劇の原因を考えます。
朝鮮からやってきた人たちに日本の社会は冷たく、祖国を遠く離れた地で多くの方々が根拠のない差別や苛酷な労働を強いられ、殺されました。いのちを失った方々のことを考えたいと思います。
水俣病の本質は「人災」。苦しむのまさしく自分の市に生活をすえた市民なのに、市はおろか県や国までが苦しむ国民に気持ちを寄せない。そして企業が権力にどう関わったかを知ることで見えてくるものがあります。