最後の特別攻撃隊長 中津留達雄海軍少佐
大分県津久見市ご出身の中津留達雄海軍少佐は、終戦を控え上官の配慮により故郷の部隊に異動になります。しかしそこの司令官は「死んで責任を取る」ため、終戦の詔勅後特別攻撃を命じました。若い20名近くの彼らは戦争がない世の中を目前に殺されどれほど無念だったか、そしてこの世に遺してくださったものを考察します。
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関行男海軍中佐の人生は、亡くなった方々へ思いを寄せることにつながりました。ご慰霊の旅から「いのちの尊さ」を考察します。
関行男海軍中佐のご事績に触れることができる場所のご紹介はこちらをご覧ください。
大分県津久見市ご出身の中津留達雄海軍少佐は、終戦を控え上官の配慮により故郷の部隊に異動になります。しかしそこの司令官は「死んで責任を取る」ため、終戦の詔勅後特別攻撃を命じました。若い20名近くの彼らは戦争がない世の中を目前に殺されどれほど無念だったか、そしてこの世に遺してくださったものを考察します。
原爆は大量殺戮そのもの。なのに皆「原爆投下」というアメリカ側の視点を使うことで事実をねじ曲げているように思えます。身体の内外から3,000℃もの高熱で焼かれ、生き残られても浴びてはいけない光線によって苦しい病を強いられた、彼らの死を「仕方がなかった」と言い捨て、ここまでされないと終戦の決意がされないというのはどれだけ無能で非情な君主でしょうか。
朝鮮からやってきた人たちに日本の社会は冷たく、また彼らを虐げることで国民の団結を図るような有様でした。祖国を遠く離れた地で多くの方々が根拠のない差別や苛酷な労働を強いられ、殺されことに想いを馳せ生命を失った方々のこと、またいまだに続く民族差別や外国人いじめについて考えたいと思います。
水俣病という公害病は、チッソと言う企業が工業廃液をそのまま海に投棄し続け、食物連鎖で有機水銀など重金属が蓄積した魚を人間が摂取したことが原因でした。しかしこの魚、見た目も味もなんら普通の魚と変わりません。そんな魚を食べて発症した不知火沿岸の住民が悪いとでもいうのでしょうか。