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「階級」は本当に人間の価値と引き換えになるのか

海軍の階級表

終戦の詔勅までの特別攻撃で殉職者は、准士官以上の場合2階級特別進級と扱われました。
[]は敷島隊の隊員さま方で、太字は特別進級後の階級です。

階級 現役定限年齢 進級実役年齢 初叙位階 給料 軍職
元帥終身従三位
【将 官】任官区分:勅任官
大将65歳正四位6,600円連合艦隊長官
中将62歳2年従四位5,800円艦隊司令長官
少将58歳2年正五位5,000円戦隊司令官
【佐 官】任官区分:奏任官
大佐55歳2年従五位4,440~4,180円駆逐隊航空隊司令
中佐53歳2年正六位3,720~3,220円飛行隊長
[関中佐]
少佐50歳2年従六位2,640~2,330円
【尉 官】任官区分:奏任官
大尉48歳4年正七位1,900~1,470円[関大尉]
中尉45歳1年6月従七位1,130~1,020円
少尉45歳1年正八位850円[中野少尉]
[谷少尉]
【准士官】任官区分:判任官
兵曹長40歳5年月101~77円[永峯飛行兵曹長]
[大黒飛行兵曹長]
【下士官】任官区分:判任官 (特別攻撃による殉職で下士官は士官に特別進級<1944.12改定>)
上等兵曹40歳2年4月月55~34円
一等兵曹40歳1年4月月28~27円[中野一等飛行兵曹]
[谷一等飛行兵曹]
二等兵曹40歳1年4月月23~21円
【兵】 (特別攻撃による殉職で兵は准士官に特別進級<1944.12改定>)
兵長1年4月月16~17.8円[永峯飛行兵長]
上等兵8月月13.1円[大黒上等飛行兵]
一等兵8月月11.6円
二等兵月6.2円
<別表>【特務士官】
特務大尉52歳特選月173~159円
特務中尉50歳3年月145~135円
特務少尉48歳2年月122~114円

階級という評価

「現役定限年齢」を見れば、大尉という職階もかなり上の方だとわかります。そして特別攻撃による戦死は2階級特別進級とされました。
さらに1944年12月には特別進級後に下士官である者は最低でも士官に特別進級する、となりましたから、永峯肇飛行兵曹長や大黒繁男飛行兵曹長は2回特別進級があったことになります。
しかしながら、階級がひとつあがろうが、ふたつあがろうが、生命にはかえられません。永峯さんや大黒さんは階級という点から見れば相対的には低いかもしれないけれど、学校を卒業して、夢を抱いて社会へ出る、その出だしに立たれて将来に希望を抱いて人生を描くというのは今の若者と変わらないでしょう。

軍人になる、兵隊になるひとつにしても厳しい予科練での訓練を経て飛行兵になられたのです。しかしながら、「特別攻撃」というものが形になり、君主は人間のくせに神を自認し、国民みなを騙しつつ、自分とその血統さえ保たれれば国民などどんな死に方をしようが知ったことじゃないから、いきなり社会に出た、死んでこいと言われる。このような無茶苦茶がまかり通ってしまった。この無念さを思えば、士官にしたらそれでいい、というのは生きた人間の考えに過ぎませんし、それで済ませるのか、それが十分な報いになるのかといえば到底おぼつかないと考えるのです。

そして大元帥たる裕仁は、自分におもねる者たちは覚えがめでたくて(当たり前ではあるけれど)どんどん昇級もさせていくし、幾度も勲章を与える。しかし、現場の人間は裕仁なんてただの写真にしか過ぎない。上官と部下の世界こそが全てであって、一度の出陣でいきなり殺されてしまう、訓練中に死んでしまう方もいる。いじめのために周りの人間がわざと苛酷な現場へ送り込み、目論見通り殺されてしまう。

将兵が死した場合、軍としては階級という面でしかフォローはできないのはわかるけれど、社会に出てすぐ霊にされてしまったような方々は、死後表彰のようなものが伝達されるだけだし、階級という点でも報われない。今の時代、皇統の出した勲章や表彰状、それすら(有名な人間に授与されて記名されているものはまだしも)無価値なもので二束三文でオークションで出ているし、その賞状を受けた方からしたら、どういう人間かもよく分からない現代人が、その賞状や勲章を受ける背景にどのような苦労や人生があったかも思いを致さずに買い叩いていく。

表彰にしても勲章にしても国民の(遺族も含まれる)天皇が国民を慈しんで申し訳なかったと自分の労働対価から出すならまだしも、すべて血税で作られていて、皇統直接に授与されたものですら知性や教養や品格のカケラすら感じられない汚い字で裕仁とかって書いてあるぐらいのもの。「死んで霊になった」から、昇級してそれに報いたことになっているけれど、昇級で与えられるお金も、ご遺族が受け取る恩給も皇統が汗水たらして払ったものでもない。

さらに言えば、関行男海軍中佐が本当に「中佐」たる真価を認めていたのであれば生前にこそその立場にすべきであるし、人間の価値は死んだから急に上がったり下がったりするようなものではないでしょう。ただただそれまでの人生こそが評価の対象であり、全てなのです。

そのように考えれば、関行男海軍中佐が本当に中佐たる立場にあるというならば生きているときにこそ中佐にすべきだし、これほどの方が中佐であったならば、特別攻撃ほどの苦しい方法で殺された将兵方が死後ようやく授けられた階級を生きたときに得られていたならば、もっともっと軍も人間性があって素晴らしい組織になり得たと思うのです。

死後の特別昇進も、裕仁や戦争を決めた人間の懐は痛まない

しかしながら、叙勲をさせる側にしても、死んでからだからこそ、いくらでも進級させることができる。生きているときに関行男大尉が中佐であったならば、特別攻撃で昇級をされたような立派な方々が生きて大佐や中佐や少佐であったならば、軍としてはすばらしく良い組織になろうかとおもうのだけれど、特別攻撃を進めた輩たちにとってみたら、こういう優秀な若者が、立派な人間がいてくれたらそもそも戦争ができない。

そして裕仁にとってみたら聡明な人間が多ければ、自分のやりたいように、睦仁がやったような「大国を相手にして勝利した君主」になれない。やりにくくて仕方がないと思うのです。

死後の昇級は生きた人間がいかようにしようと、死した当事者は口出ししてこないからこそ、特別進級で手打ちにする。生命の引き換えはなにとも代えがたく、金銭でしか報えないという一面があるにせよ、それを決める人間たち、戦争を決めた裕仁は生き残ったのは厳然とした事実であるし、恩給が増額しようと賞状をいくら出しようとそれはすべて血税。傷痍軍人さんの義眼にしてもそう。恩賜のなんとかといっても、すべて血税から支払われて購入したもの。購入先は覚えがめでたい商人か。

庶民の死を庶民の血税でまるで傷をなめ合うようなことをさせられるのです。そう考えるとやるせないし、たったひとつの恩給という報いすら、関行男海軍中佐を失いたった一人になられたご母堂様は、終戦直後から亡くなるまで一銭も支給されることはありませんでした。都心の森付き数戸建ての立派な建物で雨露をしのげ、腹一杯食える戦争を決めた血統と、ご主人やご子息を殺されたご遺族の多くがどれほど苦しい生活を強要されたことは極めて対照的で、忘れてはならないと思います。

これほどの戦果をあげても、名前の誤字すら訂正されない

海軍大臣の弔意書
海軍大臣の弔意書, 陸上自衛隊松山駐屯地所蔵, 2021.10.27(許可を得て撮影)

死んでせめてもの、で海軍大臣から関行男海軍中佐の弔意文が出ていますが、名前の間違いすら気付かず発行されています。

少なくとも愛媛県庁や西条市役所を経由するとき県吏員、市吏員も気がつくかと思うが、上に憚ってか上奏して取替もしなかったという証拠でもある。これをご覧になってご母堂様はどう思われただろうか、どれほど死んだ人間に対しての扱いが軽いか、というひとつの教訓でもあると思うのです。

そして、関行男海軍中佐ほどの戦果を挙げても、死んでしまえばこれほど雑に、軽く扱われるのだから、戦争で「お国のために」と人が死んでも当の「お国」にとってはなんとも思っていない、その象徴のように思えて仕方ありません。国からしたらたくさん死んでいく内のひとりにすぎないのだ、と言う図らずも動かぬ証拠でもあります。生きた人間も死んだ人間の扱いは軽いから、「せめて死と引き換えのものなのだからと」と動いてくれる者すら誰一人としていないということ。むしろご母堂様が国や県に上奏するなんてことはできないから、グルになってスルーしたとも言えるのです。

遺族にとっては、ご母堂様にとってはその後の人生ずっと重しのようにのしかかることなのに、せめてもの、の大臣からの弔意書すらこんな有様では救いようがありません。思われたと思うのです、こんなに自分の息子の人生は軽いのか、名前すらまともに呼んでくれないのか、と。

弔意書から垣間見える「絶対に戦争はしてはならない」という理由

これがもっと位が高かったら、皇族に対して出されるものだったら何重にもチェックをして、こんなあり得ないようなミス、当然差し替えられて当然でしょう。そのまま出したら首が飛ぶ。死んだのが庶民であるからなのか、それとも死んで生きていないからなのか、こんな切ない仕打ちすら甘んじて受けなければならない。名前しか人を指し示すものはないのに、その扱いひとつからしても、権力者からしたら庶民は駒のひとつである、と痛感させられるし、関行男海軍中佐ほどの戦果を挙げてもこんなケアレスミスをされるぐらいに粗末に扱われるのだ、という教訓であるとも思うのです。

特別進級だろうが弔意文だろうがすべて血税であって権力者にとっては機械的な事務処理に過ぎないということ、そして生きた人間ごときが正しくその人物の人生の価値なんて評価できないということ。その象徴がこの弔意文と考えれば、「名誉」と書きながらこのようないい加減なものが「生命」と引き換えになろうはずがないし、こんなものよりよほどよほど関行男海軍中佐のご母堂様にとってみたら、関行男海軍中佐が生きていらっしゃる方が嬉しくいらっしゃるに違いありません。「他人が死の価値を査定させるような事態」、すなわち戦争というものは決して起こしてはいけないということが、こういう「死後の扱いの雑さ」というところからも垣間見えるのです。

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