陸軍見習士官 佐藤淑雄様
身ヲ軍籍ニオキ大東亜戦争ニ際会ス。国家危急ノ秋、一片ノ護国ノ捨石トナルヲ男子一生ノ本懐ト観ズ。
余更ニ功ヲ願ハズ、只皇国軍人トシテ戦場ニ屍ト相果ツルヲ希フノミ。
はっきりと「捨石」と書かれているところにこの世を全うできない悔しさと怒りがにじみ出ていると感じます。
Powered by Google Custom Search
特別攻撃隊の隊員様方が記されたご遺書。鹿屋の史料館で発行されているご遺書を集めた書物は「魂のさけび」とタイトルがつけられていますが、皆さん方すべて「叫ぶ」ことができたか。検閲官が厳しかったり、上官がメンツ重視だとなかなか本音は書けなかったでしょう。ただただご両親、特にお母さんに心配掛けたくないと敢えて本心を隠して書かれた方々も多いと思うのです。
また、海軍の特別攻撃隊の隊員さん方については遺族からご遺書などを巻き上げるようなことや、収集されても海上自衛隊や護国神社に収蔵されて、遺族はおろか外部にも公開されないケースもあります。
このページは網羅を目的としたものではありませんが、特別攻撃隊の隊員様方のほか、軍人さん方兵隊さん方が書き遺されたご遺書のうち、わたしの印象に深く残ったものを選んでご紹介し、随時追加します。
すべての軍人さん方兵隊さん方の魂のご安寧をお祈り申し上げます。
ご遺書以外の内容は邪魔になりますので、表面には表示しないようにしました。「続きを読む」を押してください(表面的なことで恐れ多いのですが、少しだけ私のコメントを書いています。Twitterにご遺書のほかご経歴も掲載されていた場合は転載しています。)。
身ヲ軍籍ニオキ大東亜戦争ニ際会ス。国家危急ノ秋、一片ノ護国ノ捨石トナルヲ男子一生ノ本懐ト観ズ。
余更ニ功ヲ願ハズ、只皇国軍人トシテ戦場ニ屍ト相果ツルヲ希フノミ。
はっきりと「捨石」と書かれているところにこの世を全うできない悔しさと怒りがにじみ出ていると感じます。
その後如何ですか
こちらへ来る途中松山の近くを飛んで来ました
お父さんお母さんと呼びましたがきこえましたか
一度でもよいから降りて一目逢いたかった
元気で行ってきます
お父さんお母さん呉々も御体を御大事に
永久に さようなら
「永久に」と書かれるところに決別の苦しさを感じます。
白鷺隊の戦果が新聞に出た時は、私が真先に突込んで行ったと思って下さい。私も最後の親孝行として、椎根家の名誉として、驕敵米兵数千と、船一隻を必ず太平洋の藻屑として見せます。必ずお父さん、お母さんと叫んで突込みます。
苦労して自分を育ててくださったご両親への最後の生きての絶叫は、例えご遺書に(周りの圧力から)裕仁万歳と書かれた方であったとしても、「お母さん!」だと思います。
父様母様お元気で
白木の箱が届いたならば
大した手柄はたてないが
泣かずにほめて下さいな
大戦果を挙げて戦艦を轟沈させます、と書かれた方が多くいらっしゃる中で、「大した手柄はたてないが」と書かれているのが切ないのです。控えめにおっしゃられているのか、戦況から導き出されたご判断なのか、もしくは裕仁や体制、特別攻撃に対する怒りからか。続けてそれでも「泣かずにほめてほしい」とご両親に宛てられた、その心中をお察しします。
出身地 愛媛(出身校:甲飛13期)
出撃基地 第二国分/出撃機 九九艦爆
沖縄北・中飛行場沖にて戦死、享年22歳
神風特別攻撃隊 第一草薙隊 第二国分基地発 沖縄周辺艦船攻撃
聯合艦隊告示142号
(九九艦爆)
◆操縦 中尉 高橋 義郎 (宮城・海兵72期)
偵察 少尉 時任 正明 (鹿児島・予備学13期)
◆操縦 少尉 中村 盛雄 (岩手・予備学13期)
偵察 二飛曹 桜井 利喜一 (山形・乙飛18期)
◆操縦 少尉 阿部 英治 (東京・予備学13期)
偵察 二飛曹 長谷川 喜市 (群馬・乙飛18期)
◆操縦 二飛曹 網田 浩之 (熊本・甲飛12期)
偵察 一飛曹 船生 敏郎 (栃木・乙飛17期)
◆操縦 二飛曹 大田 鎮雄 (熊本・甲飛12期)
偵察 二飛曹 小田 好郎 (佐賀・乙飛18期)
◆操縦 中尉 作田 幹雄 (大阪・予備学13期)
偵察 少尉 松本 厚 (京都・予備学13期)
◆操縦 一飛曹 太田 潔 (福岡・乙飛17期)
偵察 二飛曹 佐山 一 (愛媛・甲飛13期)
◆操縦 二飛曹 三井 位 (長野・丙飛14期)
偵察 一飛曹 水品 清 (静岡・乙飛17期)
◆操縦 二飛曹 吉岡 隆成 (広島・乙飛特1期)
偵察 二飛曹 斎藤 義正 (千葉・乙飛18期)
◆操縦 一飛曹 中西 三津夫 (滋賀・乙飛17期)
偵察 二飛曹 今井 敏夫 (宮城・乙飛18期)
◆操縦 二飛曹 鈴木 幸一 (東京・乙飛特1期)
偵察 二飛曹 五十川 武夫 (愛知・乙飛18期)
◆操縦 上飛曹 小鷹 時雄 (山梨・乙飛12期)
偵察 少尉 阪本 充 (熊本・予備学13期)
◆操縦 一飛曹 後藤 友春 (宮城・乙飛17期)
偵察 二飛曹 柏村 成太郎 (茨城・甲飛12期)
我等明日を恃みき
されど明日は
遂に来たらざりき
「明日」に一縷の望みを託して待ち望んでいたのに、ついに来なかったという絶望感を強烈に感じます。
大空に雲は行き、雲は流れり
星は永遠に輝き、久遠にきらめく
空、空
ご出身地 大分(大分師範13期)
出撃基地:鹿屋/出撃機:爆戦
ご戦歿:沖縄周辺/享年23歳
飛行マフラーの寄せ書き
神雷轟一度 砕驕艦無跡
一機当千之練技 求死中活期必中
日記抜粋
昭和二十年五月十日、木曜、晴れ
一六○○特攻隊員整列。明早朝を期し吾が隊にも待望の攻撃命令下る。
第一線鹿屋基地に来て旬日余、着の身着のままシラミも居そうな感じがする。機動部隊遂に慶良間周辺より近寄れず、攻撃の機なし。よし、来たらざれば吾等往く。洋上航行四時間、憤眼を見開き必ずや
命中せん
(中略)
只皇国の必勝を信じ、皇国民の一層の健闘を祈りつつ、一臣としての常道をひたすらに歩き、悠久の大義に殉ぜん。二十年余の至らぬ限りを、明日の必中によりてこそ聊か報へん。
お父さん
お母さん
兄弟
そして教え子
その他の人々
さらば
この道が戦場に通じ、その果ては米英の飛行機が雲霞をなし、砲弾が唸り、千の銃口がこちらに向いている。その中に突入するのだ。
まことそれは、二十年の生涯をこの一点に傾倒しての、己が全存在の燃焼である。
レーダーに対抗しうるものが開発できなかったゆえに、人力で敵艦に爆弾をぶつけに行けという無茶苦茶。その前に自分の周りに無数の砲弾が襲いかかる恐ろしさが「千の銃口」。戦争を決めた血統はひとりひとりのこの苦しみを来世で背負いきれるのか。
ご出身地 徳島(京都帝大)
14期飛行予備学生/ご戦歿地:沖縄周辺/享年24歳
いつでも、死ねる人間になれ。いかに修養を積んだと思われる人間も、すべての人は死に直面し、生死の間際にまごつくものである。死ということの、いかにむつかしい現実であることか、今さら認識せずにおられない。
死んだら魂は消えるのか、生き続けるのか。そして、魂がどうなるのか。私は特別攻撃隊の隊員さん方ご出身地にこのことを突きつけられ、今に至ります。死んでからまごまごするよりは、生きているときに道を求める方がよほどよほど良い。
大分(大分師範13期)
出撃基地:鹿屋/出撃機:爆戦
ご戦歿:沖縄周辺/享年23歳
飛行マフラーの寄せ書き
神雷轟一度 砕驕艦無跡
一機当千之練技 求死中活期必中
日記抜粋
昭和二十年五月十日、木曜、晴れ
一六○○特攻隊員整列。明早朝を期し吾が隊にも待望の攻撃命令下る。
第一線鹿屋基地に来て旬日余、着の身着のままシラミも居そうな感じがする。機動部隊遂に慶良間周辺より近寄れず、攻撃の機なし。よし、来たらざれば吾等往く。洋上航行四時間、憤眼を見開き必ずや
命中せん
(中略)
只皇国の必勝を信じ、皇国民の一層の健闘を祈りつつ、一臣としての常道をひたすらに歩き、悠久の大義に殉ぜん。二十年余の至らぬ限りを、明日の必中によりてこそ聊か報へん。
お父さん
お母さん
兄弟
そして教え子
その他の人々
さらば
一、生を享け二十二年の長い間 小生を育まれた父母上に御禮申ます
一、親不孝の数々お許し下さい
一、小生の身体は父母のものであり、父母のものでなく、天皇陛下に捧げたものであります 小生入隊後は無きものと御覚悟ください
一、小生も良き父上、良き母上、良き妹二人を持ち心おきなく大空の決戦場に臨むことが出来ます
一、父上も好子、壽子を小生と心得御育み下さい
一、母上、父上の事末永く呉々も御願ひ申上げます
一、父、母上の、また妹の御健康をお祈り致します
父さん 大事な父さん
母さん 大事な母さん
永い間、色々とお世話になりました 好子、壽子をよろしくお願ひ致します。靖國の社頭でお目にかゝりませう
では参ります お身体お大事に
こちらでご遺書を紹介した方です。
出身地 佐賀 出身校 西南学院13期 出撃基地 第二国分 出撃機 九九艦爆 沖縄周辺にて戦死 享年22歳
このページで特に明記していないものは、Twitter 特攻隊員の遺書bot様公開のご遺書と、素戔嗚様が調べられたご経歴を紹介しており、掲載に当たってお二方の許可をいただきました。厚くお礼申し上げます。