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護國神社のご英霊拝観施設では「特別攻撃」をどう扱っているか

護國神社ごとに「ご英霊」に対する熱量は大きく異なる

護國神社、各地の道府県にあり、「県出身の」軍人さん方兵隊さん方をお祀りの対象とし、ご祭神としています。

幕末維新期以来、第二次大戦に至る戦役で没した人々祀る神社
招魂社が前身
1939年内務省令で明治以降に設立の招魂社百数十社余はすべて護國神社と改称
内務大臣の指定する指定護國神社(原則一府県一社)と指定外護國神社に分類
戦後は国家管理から離れ、宗教法人に。
護國神社の総本社的位置にあったのが靖國神社。(神道辞典より)

青森縣護國神社の祭神銘板
祭神銘板, 青森縣護國神社, 2022.5.18

青森縣護國神社です。祭神銘板に護國神社の趣旨も書かれていました。「平和のいしじ」と名付けられた、ご祭神の名をつらねたものが境内に立てられています(沖縄の印象が強いので、青森らしい名前のほうがいいのでは…)。ただ、護国神社に祀られているご祭神の方々の名前が一堂に、来訪者に見える形で掲示しているのは、わたしの訪問した中ではここだけです。

青森縣護國神社の祭神銘板
祭神銘板, 青森縣護國神社, 2022.5.18
青森縣護國神社の史料展示室
資料展示室, 青森縣護國神社, 2022.5.18
岡山縣護國神社のご遺品の展示館
資料展示室, 岡山縣護國神社, 2022.8.13

軍人さん方兵隊さん方のご遺影やご遺品を「ご英霊のご事績」として拝観に供している護國神社は多くありません。青森縣護國神社は規模は小さいものの、見やすくまとまりはとてもよかったです。年表に郷土の歴史も織り込まれていました。また、岡山では2つも展示館があり新旧で雰囲気も違います。過去の展示の仕方と現代的な展示の仕方の見比べができる、という点でも勉強になります。やや古い情報ですが、2020年前後の状況を以下にまとめます。熊本縣、高知縣、廣島については神職にお伺いしました。

◆拝観施設がある護國神社
青森縣 栃木縣 石川 福井縣 滋賀縣 岡山縣 徳島縣 愛媛縣 大分縣 佐賀縣 宮崎縣
◆拝観施設がない護國神社
秋田縣 岩手 庄内 新潟縣 大阪 兵庫縣神戸 兵庫縣姫路 備後 長崎 沖繩縣
◆震災により拝観施設再整備中(未公開)の護國神社 熊本縣
◆拝観施設開館に向けて収集中の護國神社 高知縣
◆拝観施設はあるが公開はしない護國神社 廣島

護國神社によっては神職の方々、こと富山縣護國神社の神職の方にはずいぶんお世話になりました。ここに改めてお礼申し上げます。
方々行くと、建物の新旧も含め、展示の工夫や見せ方、説明に着目すると、護國神社ごと、また建てられた時代ごとに違い「個性がある」とも言えるのですが、どうしても「祭祀の温度差」というものも感じざるを得ません。

国が一律に軍人さん兵隊さんとして駆り立てていったのですから、一律に国の責任において彼らのご慰霊とご遺品を現世、そして後世に伝えていくべきだと思います。

こういうのは、現状、全部護國神社、あるいは自治体に丸投げしているのですが、護國神社もご遺族が多いところ、少ないところ、いろいろですし、自治体もこういったことを平和教育の一環として熱心に取り組むところと、腫れ物に触るように忌避しているところ、さまざまです。わたしが住んでいた兵庫県は特に後者の代表といっていいようなところ。熊本では基地祭がパレードする、と聞いて驚きました。兵庫県の自衛隊が外にアピールのために出ていくことなど、見たことがないのです。戦争に対して否定的なのは良いのですが、「触れさせない、教えない、なのに『平和』が大事」と教えるのでは平和教育といいながら、一体に何が印象に残るのでしょうか。国の役割、国防とは何か、自衛隊のあるべき姿、そういったことに幾分でも好奇心旺盛な時期に触れておけば、大人になったときに安易に右翼や右翼的政権になびいたり、国防を無視したような左翼政権に心酔したり、ということはないと思うのです。

そして、軍人さん方兵隊さん方のご遺品に関わることは、少なくとも国防を意識する、ということになります。接点がないよりもあるほうがよほどいい。ご遺品は何らかの形で公開するべきだし、その先に死があり、霊のこと、苦しく死んだ方々に対してのご慰霊を考えるような人間になってほしい、そう思うのです。教育参考館は海軍の特別攻撃隊の隊員さん方のご遺書を多く所蔵していると聞いていますが、死蔵するだけではそもそも何のために集めたのか、と思うのです。積極的に外部に出すべきだし、収蔵品の図録も出してほしいと思うのです。ご遺族から寄贈されたら国のもの、あるいは護国神社のもの、と考えるかもしれませんが、国民全体の財産だと考えてほしい。そして寄贈品については必ずある軍人さん方兵隊さん方のご遺品である。当時の遺族が承諾して/持参して寄贈という場合でも、それはあくまで「当時の」遺族がやったこと。世代を下った遺族に伝わったときに、興味が出る子孫がいるかもしれない(子孫が寄贈されたことを残念に思い、返還を願うときは応えてあげてほしいとも思います。貴重なものは複製をすればよいのですから。この話にも通ずるところがあります)。そして社会全体で大切に保管し、できる限り伝えていく。国も自治体や宗教団体に頼らない。そうしないと、いずれ立ち消えになってしまうはずです。中国が戦争の記憶継承のため、方々で国立の戦争博物館(多くは日本の蛮行を糾弾する内容で、プロパガンダ的な要素も過分に含まれていると思いますが)を建てているのと、極めて対照的です。中国の国民と戦争の話題になったとき、そういう知識がある中国人に対し、日本人は自分の意見を持って正々堂々と語り合うことはできるでしょうか。

護国神社はご戦歿せんぼつの軍人さん方兵隊さん方を祀り、普通であれば遺族の裾野が広がらなければならないのだけれど、遺族が高齢化し、次の世代は関心がないから参拝に来られない、とよく伺います。遺族の支持がなければ護国神社の経営(はっきり書くと)も危ぶまれる。

ご先祖の、それも軍人さん方兵隊さん方として苦しく死んだご事績を知るきっかけとなったご遺品、結果的に集めたものを見せなければ、取り上げたも同然です。しかし、見せること、展示することは、ある意味ご遺品をご遺族に返す(物的ではありませんが)という一面もあるのです。それに、遺品館の建設も維持も大変でしょうが、社殿があるだけよりも、何らか「ご戦歿せんぼつされた軍人さん方兵隊さん方と将来につづいていく遺族」との接点があるほうが、絶対的に経営にもよいと考えます。護国神社とご遺族の一つの接点、それも先祖が生きた証がここにある、展示されてみんなに見てもらっている、ということがどれだけ大切でしょうか。

現代人の日常生活の中で、ただでさえ霊に対して、ご戦歿せんぼつされた方々に実感がなく、なおざりになっているのに、その上「形に見える」ご遺品やご事績の記録すら、遠いところに/関心がある人にしかわからないようなところにあるから、社会全体も心が離れる。当然のことです。

どこの護国神社でも遺族がご戦歿せんぼつされた先祖のことに関心を寄せない、と嘆くけれど、学校で何一つまともなことをとりあげず、手がかりも遺族から取り上げて、挙句それは見せない、接点がない、そうなれば当然の帰着のように思います。寄贈して社会にも見せない、ご遺族にも見せないということであれば、例え今の遺族からしたら処分同然で寄贈するようなものであっても、寄贈せず手元にあれば、何世代か後の子孫が自分の先祖に気持ちを寄せてくれることもあると思うのです。苦難の人生を遂げられ、立派さに感動する人もいるかもしれません。ただ、一般的に家庭で保管するにはカビが生えたり虫に喰われたりで難しく、寄贈する。それは致し方ないことだけれど、完全になくなる前に、積極的に国が関与して後世に伝えていく、中国に負けないぐらい立派な博物館。それは威信のためでも攻め込んでいったことを正当化するような内容ではなく、ただただ人の死に光を当てて、睦仁や裕仁が「敵国」と定めたばかりに殺された、相手の国の方々のご遺族も納得しうるような、そんな博物館をこしらえてほしいと思うのです。

護国神社によって「ご英霊のご遺品を拝観できる施設」があるかないかまちまち、という現状。人間はどこに生まれる、本籍がどこになるかは運命的なものであるし、軍人さん方兵隊さん方にとって、自分の所属する護國神社がご遺品の展示すらしてもらえない、と気が付かれたとき、はたして軍人さん方兵隊さん方はどう思われるだろうか、と思うのです。こと、その中に兵庫県や大阪府といった大都市を包含する府県の護国神社が含まれているということは、その護国神社が管轄するご戦歿せんぼつ者も多い。しかし遺されるはずだった遺品が全くといっていいほど遺らない、その状態のまま現時点で80年も放っておかれた、ということですし、そのことに誰も疑問を呈してこなかった、というのも「誰が」とは言いませんが、恐ろしく非情に思うのです。

特別攻撃をどう見せるか

そして、限られた中はありますが、これだけ訪問しても、特別攻撃隊の隊員さん方を取り上げて顕彰していらっしゃったのは、ただ福井縣護國神社のみなのも愕然としました。

福井縣護國神社の特別攻撃隊隊員の展示コーナー
県出身の特別攻撃隊隊員の展示コーナー, 福井縣護國神社, 2019.9.15

このような顕彰施設というのは各県になければならないと思うし、本来であれば国が責任を持って運営すべきものであろうと思うのです。また郷土の軍人さん方兵隊さん方の記録という点では、戦争というものを身近に感じる拠点でもあると考えます。

また慰霊団体が同じ銅像をあちらこちらの護國神社に建てていますが、それはオブジェでしかない、と思うのです。なぜなら銅像に貼り付いた短い文章で、どれだけ特別攻撃隊の隊員さん方の苦しみがどの程度伝わるでしょうか。飛行服を着た少年軍人さんの勇ましい銅像、よほど気になって回り込まなければ何なのかわからないし、知っている人だけが価値が分かるモノよりも、知らない人間が見て、考え込むようなモノのほうがよほど値打ちがあると思うのです。一見でこういう見方があるんだ、こういう背景でこのような苦しみを与えられた軍人さん方兵隊さん方がいるんだ、と数分でも立ち止まって示唆を与えてくれる、心がこもったパネルの価値は計り知れません。

どれだけご偉勲にパネル説明だけで迫ることができるかで、パネルの価値が決まる

資料を展示する護國神社でも、「戦争全体の経過」が俯瞰できるように年表や説明文を用意して、パネル展示までしている。そういう護國神社は多くありません。

ただ、説明要員を配置するわけではない以上、遺品を並べて「経過をパネルでみせる」ことこそ、その遺品が生きる、「モノが語る」ことができるのです。そのよい例として、徳島縣護國神社の展示パネルをご覧頂きたいと思います。
わたしからすると絶賛の迫力ある内容です。なにより戦史全体の説明を多数のパネルで展示し、わかりやすく説明も丁寧です。

時間があれば全体を、時間がなければ概観して、関心があるところをじっくり読む。これはパネルならではなのですが、徳島縣護國神社のパネルは、ひとつひとつの項目に手を抜いておらず、核心となることはきっちりと伝えていて、とにかく迫力と読み応えがあるのです。
友人でご先祖が高砂義勇隊に参加、ニューギニア島のムンダで亡くなられているのですが、遊就館で「高砂義勇隊」の記載がなく落ち込んでいました。徳島で「薫空挺隊」まで、限られたスペースでありながらしっかり触れてあり、本当に「隙がない」と感じました。
逆に言えば隙があると言うことはそのことでご戦歿せんぼつされたご英霊を無視すると言うことと同じですから、単に歴史解釈をしているのではなく、「説明を通したご慰霊」そのものを実践されているように思います。

徳島縣護國神社「空で、海で、陸で、日本軍が展開した特別攻撃」パネル
資料館展示パネル 「空で、海で、陸で、日本軍が展開した特別攻撃」, 徳島縣護國神社, 2020.6.28

特別攻撃についてはパネル2枚にもわたって説明があり、さらに特別攻撃の過程が詳細に年表で説明されていました。

徳島縣護國神社「戦況の悪化と特攻作戦の展開」パネル
資料館展示パネル 「戦況の悪化と特攻作戦の展開」, 徳島縣護國神社, 2020.6.28

年表で関行男海軍中佐や敷島隊について明快に「軍神となる」とまで説明があったのには感激さえ覚えました。赤線は当方が付けたものです。

関行男隊長率いる海軍神風特攻隊「敷島隊」が大戦果をあげる。
(アメリカ空母1隻と艦船5隻を撃破。関行男ほか軍神となる。

徳島と愛媛の落差に目眩がする

愛媛縣護國神社の戦史説明パネルのうち、特別攻撃関係部分
資料館展示パネル 特別攻撃関係部分, 愛媛縣護國神社, 2019.12.14

同じ四国で、敷島隊隊長の関行男海軍中佐、隊員の大黒繁男飛行兵曹長の出身県である愛媛縣護國神社の展示パネルでは、どのように説明されているでしょうか。

④各戦線での破綻…(玉砕・特攻…)

中国戦線においては、昭和19年(1944)国民党軍に対する大陸打通作戦に成功したが、太平洋の島々において反撃に転じた米軍に対する日本軍の相次ぐ玉砕によって、戦略的効果は得られなかった。
さらにニューギニア、フィリピン、ビルマで劣勢に立たされた日本軍は、昭和19年(1944)から特攻作戦を実施した。陸海軍による隼・零戦特攻をはじめ、人間魚雷回天など、その攻撃は終戦まで続いた。

上のパネルの写真の説明文
資料館展示パネル 写真部分拡大, 愛媛縣護國神社, 2019.12.14

あまりにも雑でしかも魚雷に生まれた人間などいないのに「人間魚雷」などという言葉をご祭神に向けて平然と使う無神経さ。

さらにひどいのが添付された写真の説明文です。

特別攻撃隊(敷島隊)の出撃直前に隊員の手を
一人ずつ握る松葉杖の司令
昭和19年10月25日フィリピンマバラカット基地

この説明文ですと、この写真は「握手する松葉杖の司令を撮影したもの」でしかありません。

また写真に「特別攻撃隊(敷島隊)」と隊名が入っていますが、説明の大項目(④各戦線での破綻…(玉砕・特攻…))にも他どこにも「敷島隊」はおろか、特別攻撃隊の説明がないのです。

隊名を括弧書きで表示してあるのは関心や注意を惹くためと思うのですが、拝観者が「知っているのが前提または当然」あるいは「自分で調べろ」では不親切すぎないでしょうか。少なくとも県出身者が大変な思いをして初めて成し遂げたことなのです。

このそっけなく貼り付けられた写真、この写真は、特別攻撃に関して言えば、第一級の写真です。
左端は神風特別攻撃隊敷島隊隊長、関行男海軍中佐(西条市出身)ですし、この敷島隊の隊員さんには県内出身者の大黒繁男飛行兵曹長(新居浜市出身)もいらっしゃいます。

これだけの功績を挙げられた方々が県出身者に関わらず、本文でそのことに全く触れないばかりか、彼らの写る写真をわざわざ掲載しながら、あえて「これは『司令の写真』ですよ」と説明をつけるというのは、どういう当てつけでしょうか。

しかもその司令の名前も挙げないのであれば、「握手」が写真の照準なのでしょうか。無理矢理に死ぬるを押しつけられ、上官は生き残る卑怯な人間ばかりです。
その形ばかりの握手を「すばらしいのだ」と絶賛する意図なのでしょうか。ますます理解不能です。

軍人さん方兵隊さん方の気持ちに心をよせていける貴重な光景の写真を使っているのです。
しかもそれに県出身者が映り込んでさえいるのに、何が目的かわからないような説明をつけているのです。

どうしてこんな情もないような説明を「護國神社が」平然とつけられるのだろうか、と思うのです。たとえ宗教色を排した県立の歴史博物館であったとしても、郷土出身者をぞんざいにすることはありませんし、折々に取り立てて展示するなど大切にするでしょう。
ましてや県出身の軍人さん方兵隊さん方は県護國神社にとって「ご祭神」のはず、この「ご祭神」がいらっしゃることでしか存立する意義がないはずなのに、こんな意味不明な扱いをしている。
果たして敷島隊の方々は、特別攻撃隊の方々はどう思われるだろうか、と考えてしまいます。

このことは何とも残念なことですし、護國神社間で必ずしも同じ説明をする義務がないからこそ、愛媛縣護國神社には隣県の徳島縣護國神社に負けないぐらいに、まずは彼らの功績を高く評価していただきたいのです。
中立的な歴史記述は、それこそ教科書や至る所の歴史博物館でさんざんされています。
しかしながら、「地元のご戦歿せんぼつした軍人さん方兵隊さん方」を強く「推す」、博物館的な展示は護國神社、しかも展示施設を持つ護國神社しかできません。

せっかくの立派な展示施設があるのですから、前代未聞の苦しい作戦の先鋒は愛媛の出身者が担ったのだ、ということが迫力を持って拝観者に伝わるような、丁寧な説明文に改訂していただきたいと、切に願います。

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