ご挨拶
戦争があった時代は繰り返される
関行男記念館は、学芸員の資格を持つ運営者が、長年の慰霊活動と調査に基づき、関行男海軍中佐をはじめとした全てのご戦歿された方々、そして戦争や社会の狭間にあって、いのちを失うに至られた方々の想いに寄り添うきっかけにしていただくために開設したオンラインミュージアムです。
歴史を振り返れば、―― 大東亜戦争、太平洋戦争と言う名の通りの広大な領域、これに戦争の種を播き、恐ろしい爆弾で国民が殺戮された ―― という先の戦争を振り返っても、常に支配する者や権力者(先の大戦では裕仁とそれにおもねるクズたち)が庶民から戦争資金のために金品を略奪し、最終的には生命まで収奪する構図は同じ。
死ぬる恐れがない立場にいる支配者や上級国民は諦めが悪いうえに貪欲で、戦争で苦しみ亡くなった人間に対して、恐ろしく冷淡な他人の目で見て、意に介さないということです。
「お国のために金を差し出せ」から始まり、馬や家畜、あげくは鍋ややかんまで供出させられました。「戦時国債を買え」と巷にポスターが貼られ、そのために貯金せよと子供にまで呼びかけます(実際には子供に独自の収入があるわけではないですから、子供を餌に親から余分に巻き上げているのです)。
軍人さん兵隊さんたちからも軍備費用を上乗せした「弾丸切手」と言ったものを給与から差引かれてまで強制的に買わされました。
これは切手と言う名前ですが貯金証書で、郵便局で発売していましたが、郵便は関係がありません。国債は富裕層がターゲットでしたが、庶民の懐を狙って発行されました。
売価は2円が売価で無利息、くじがついているのですが92%がハズレ。ハズレくじ5枚で10円の貯金証書に引き換え可能ですが、発行時期が同じものを5枚集めたもの以外は全部無効です。5年間据え置き後の10円の価値はインフレで無価値になったことでしょう。
金を巻き上げるだけ巻き上げる一方で、「空だ 男の征くところ」勇ましい言葉で兵士を募る。若者から志願を募り、足りなくなれば徴兵し、やがて年齢の枠も撤廃される。一方で、天皇やその血族、そして支配層だけはいかなる時も安泰な場所に身を置き、庶民を盾とすることも庶民のいのちに護られることも当然のように行われました。
子供達には「お国のために死ぬのは最高の人生であり親孝行である」と洗脳を施し、お母さん方が懸命に育てた我が子は「天皇の子供」だと社会がすり替えていきます。
これは言い換えればお母さん方の手から無理やり横取りしては死地へと送り出すということ。現に激戦の中つぎつぎと生命を落とされてゆきました。
兵士たちには「醜の御楯」という蔑称のような自称の言葉が作られていました。「皇統を護る醜い盾である」、と自称させるのです。国民のために命を捧げ、死をもって国を護る国民がどうして醜いといえるでしょうか。
むしろ軍人さん兵隊さんとして拒否権のない中で故郷を思い、お母さんを想い、はるか離れた異国で死にゆくのです。これほど尊い魂はほかにありません。
立場が上であることに安住し、立場が弱い国民・庶民を戦争の惨禍に巻き込み、自分らは腹いっぱい日本の逸品たるメシを食って悠然と生きて天寿を全うする、そんな血統のほうがよほどよほどクズで醜く、人間の風上にも置けない存在ではありませんか。
死と言う犠牲と引き換えに、庶民に対して裕仁ら皇統が与えたものは何だったのか。―― 自分を養ってくださっている多数の国民に貧困の苦しみを与え、息子たちは殺人の道具にさせられて、血が流れる異国の庶民同士殺しあいをするように仕向けられる。
「故郷に、祖国に、お母さんのご恩に報いるんだ」と純粋な青少年たちを教育し、激烈な死の向こうに何だか大きな意義があるように洗脳していった結果、お母さん方が懸命にお育てになられた子供たちの生命は、流れ作業のように次々と盾にされていきました。
裕仁をトップとした「体制」は、ただただ若者たちを位牌やカラの木箱、石ころにしては返却し続けては、増え続けるご遺族の悲しみや苦しみに気を掛けることはありませんでした。
戦争が終わって恩給が止まり、遺族の生活が締め上げられる。そんなときにも悠然と生き、極めつけは戦後言い切るのです。「原爆投下は仕方がなかった」、と。
こんな不条理極まりないことが、「戦争」なのです。
それを当然と言うのか、仕方ないというのか、或いは理不尽と言うのか。
そこにははっきりと「そうではないのだ」ということを訴えたいのです。戦争と言う災厄は何も天から降ってきたわけではありません。この国の皇統が、支配層が、幕末以降、この国の国民たる若者たちに現実として強要した「人災」そのものなのです。
「遥なる祖国を想ひて」
関行男海軍中佐が手紙に書き残された「遥なる故国を想ひて」という言葉。異国の空で、あるいは海で、どれほど多くの兵士たちが故郷を、家族を想いながら息絶えられたことでしょうか。
陸軍の戦死者の4割は餓死という、あまりに惨い最期でした。骨すら戻らぬ異境の地で、彼らが天を仰いでこと切れる時、どれほど辛く孤独でいらっしゃったでしょうか。
関行男海軍中佐の「遥なる故国を想ひて」の言葉が刻まれた戦歿卒業生の慰霊碑, 愛媛県立西条高等学校
10代、20代の若者の未来が、一部の権力者の人生の下敷きにされる。そんな世の中を、私たちは再び許していいはずがありません。
国民の代表とされた人間が議論する場で、国政を預かる者でありながら、問い詰められれば「答えない」と平然と言い放ち、国民の生命よりも「いかに自分の懐に血税をとりこむか」を算段しきった政策をごり押ししていく醜い姿。
自衛隊員を戦闘員と言い捨てて「最後まで戦え」と死を強要しながら、彼らも「国が護るべき国民の一員である」という認識のかけらもないクズが総理大臣。
国の長が為すべきは、武器を買い揃えることではなく、「国民が不安なく生活できる国」、そして「この国に生まれてよかった、と天寿を全うして微笑んで死ぬることができる」国を創ることではないでしょうか。
ある国会議員は、かつて「先祖伝来の日本刀を抜く時が来た。戦争をしたい」と公然と語りました。
しかし、その刀が実際に引き裂くのは、かつての関行男海軍中佐や若き隊員様方、あまたの軍人さん方兵隊さん方がそうであったように、名もなき若者の血肉であり、その裏で泣き崩れるのは、大切に皆様方のいのちを育んできたお母さん方です。
「絶対的に戦争で死なない安全な地位」に身を置きながら、勇ましい言葉で大衆を煽り、そのような政治姿勢で政権を握る。気に喰わない国を敵とみなして、張りぼての「理念」をかざす。
その核心の「その国の国民を殺す」ことを伏せながら、マスコミも御用商人もグルになって自分たちの国民に死の道筋をつけていく。じわじわと、そして機が来たら一気に。
その先に庶民同士が血で血を洗い、権力者がその結果をわくわくしながら傍観している。
そこに一体、何の正義があるのでしょうか。
百田「先祖伝来の日本刀を抜くときが来たなあと思ってね。切り込み隊長として真っ先に斬り込みにいくで。もうね、戦争したい。」(ソラミミ様のTweet)
2025年1月17日
わたしは、特別攻撃隊の隊員様方の「こころ」を知りたくて、方々ご慰霊に廻っておりましたし、今も続けています。きっかけは映画『永遠の0』でした。私はあの作品から「戦争のないことの尊さやありがたさ」を学び、最後にたどり着いたのが関行男海軍中佐です。
人生にこれほどの影響を与えた作品の作者が、公権力の座に近づいた途端に「戦争をしたい」と声を上げる姿に、言葉にできないショックを受けています。
あの感動は、戦争を美化し「男は戦争とあらば勇ましく散ることこそが生きる意味なのだ」と洗脳するための装置に過ぎなかったのか。私が曲解していただけなのかと、自問自答を続けています。
「愛国」という言葉には本来「国を愛する、大事に思う」という以上の意味はありません。
しかし、戦争のためのスローガンとして目をつけられた結果、政治的信条を押し付けられた、胡散臭い言葉になってしまいました。
またもや「よその国の誰かを殺す」ことが愛国で、それに抗うことを「非国民」と呼ばれる世の中に変質していく時代がやってくることを、私は黙って見過ごすことができません。
関行男海軍中佐が、死ぬる運命の途上で記され、想われたのは「遥なる故国」。異国に遠く連れていかれ、死を強要される人生を誰が望むでしょうか。愛する家族、愛する人と暮らす日々は天皇や皇統、支配層だけのもの ―― そういう世の中が再来してもいいのでしょうか。
現代に蠢く「言葉のまやかし」とカルトの影
安倍が「日本を取り戻す」とポスターを掲げ最長の総理大臣経験者となりましたが、なんのことはない、裏では韓国のカルト宗教「統一教会」から巨額のカネの経路があった。「取り戻す」どころか、自民党はカネと引き換えに、戦後長らく外国に「日本を売る」ことを裏で平気でやってきていた。
宗教2世の存在と苦しみに気づいてくれなかった、放置した社会。宗教被害者は自己責任として国は見知らぬ顔をしながら、その「上がり」のカネの分け前を政治屋が掠め取っていた事実。
2025年1月17日
宗教2世の存在と苦しみに気づいてくれなかった、放置した社会
山上は私たち宗教2世の苦しみが不幸にも全て重なり、全てを背負ってしまった
弁護士になりたい。宗教2世を救いたいという山上の思いを少しは信じてくれてもよかったんじゃないかな
(もるすこちゃん様のTweet)
統一教会は長い間、―― わたしが子供のころにも既に社会問題になっており、反社会的かつ反日的性格が強烈で、騙された国民は生活費のほとんどを奪われ、なかなか洗脳が解けない。
困窮と信仰をからめてがんじがらめにすることから、ろくな法規制もなければ裁判も生ぬるくなる。
そもそも国が、国会議員が規制法を作っていないものだから、厳格な裁判結果になろうはずがない。だからこその救援を国に求めて一向に対策を取らず、無視を決め込んでいた。宗教2世の存在と苦しみは宗教の横暴が原因なのに、むしろ「信仰の自由」という憲法上の規定を逆手にとって見逃してきた。すべて自己責任だと。
その見返りに自民党が宗教団体から「上がった」のカネの分け前を懐に納めてきた、と言う事実。山上徹也被告の絶望はいかばかりだっだろうか。
安倍は山上徹也被告に射殺された。少なくとも私刑やテロリズムは法の支配する世の中では断固として許されないこと。しかし、家族が自殺していくような家庭であっても、誰も助けてくれない、行政も何も、自分の家庭が外国のカルトに収奪されていくのを止めてくれない、最後の盾となる法律すらまともに発動せず、まともな生活が送れない、となったらどうしたらいい?
法律は国で定めることができるのに国会議員が無視を決め込み、既存の法律の枠内でできる手すら打たず、面倒かつ党の収入に直結する「苦しい国民を救済する」ための新法制定には誰も手を付けない。
国会議員とその長たる人間は、自分らの利益になる法律や、選挙対策でばらまくような法律、そして国民を縛り付けるような法律だけしか関心がない。これは水俣病などの公害病・薬害の救済にもあてはまる。
そう考えれば、山上徹也被告が記し、検察が押収した文書ファイルにあった
「巨悪あり。法これを裁けず。世の捨て石となるための覚悟と信念のためにこれを記す」
「我、一命を賭して全ての統一教会に関わる者の解放者とならん」
という文章の意味が恐ろしく心に迫ってくるのです。
安倍や自民党がやってきた政治が、いかほど国民の苦しみに向かい合おうとせず、背をむける姿勢であったか。
救えるのは法律だけ、国だけ、という状況になったとき、―― 本当に窮地に陥った国民が真っ先に「自民党政府、この国の政治は自分たちを助けてくれるのか」と期待を抱き、「何の役にも立たない」「むしろ強い立場を擁護する立場である」ということをイヤと思い知らされる。
しかもさらに事情が分かる場合、自分がこのようなことに落ち込んだのは、政治が原因 ―― 自分に災厄をもたらすものと結託している、裏で手を差し出して賄賂をせしめている。
これでどうして自分たちを救済するような法律が作られようか。
山上徹也被告のした「命がけ」のことは、もろ手をあげて称賛はできないけれど、「生活が脅かされて困っている」状況を国が護ってくれないとき、そしてその国の支配者が「巨悪と結託しているとき」、果たしてどう庶民は対処したらいいのか?、という疑問を日本の社会に突き付けている。
これに対しての政府の公式見解は、普通の殺人とははるかに長期間の「無期懲役」。苦しい家庭環境は一切考慮されないばかりか、安倍や収賄議員は罪に問われず、血税から国葬まで行われた。裁判が始まるのに時間がかかり、高市の挙動に合わせたような時期に拙速な判決。
検察側にカルトの息がかかった人間までいて「情状」を斟酌しないどころか、まるで権力者に庶民が逆らうとこうなるのだ、見せしめのような判決が衝撃的だった。上告して真っ当な裁きをしてほしい。この国に少しでも「正義がある」ということを国民に示してほしい。
法で裁かれず、家庭は崩壊するだけ。生活費もカルトに奪い続けられて止めてくれる規制もない。働く意味も生きる術も失われて、果たしてどうしたらいいのか。
山上徹也被告にとっては統一教会が重しとなる人生であるけれど、国民誰もがいつ何で生活に行き詰まるか分からない世の中。
そんなときに頼るものが何一つない ――、これをはっきりと突き付けられるような社会かどうか、最終的な山上徹也被告の判決がこの国の正義がどの程度のものかという答えが出る。
憚らずに言えば、このような暗黒な世の中の首謀者、国民の生活と生命を護れない人間や政党が国のトップであれば、生命も狙われて当然のようにすら思える。
統一教会に賛辞を送り、子飼いの議員らも山上徹也被告の家族のような信者から集めた真っ黒い金を、自民党議員が群れて集っているというおぞましい姿。
それに山上徹也被告は目を背けることはできなかった。生活が懸かっているからこそ、直視せざるを得なかった。
そして検察も収賄側権力の飼い犬であるから、ろくに収賄側を取り調べず、山上徹也被告だけを一方的に責め、国会議員の定めた不完全な法によって裁かれる。
あわよくば死刑にしようとでも考えてるのではないだろうか。
異国のカルトに支配される日本の政治を「おかしい」と誰も言わせないように画策する自民党
統一教会にとってはどれだけ自民党へ流す金がいくら巨額であろうとも、日本の信者の働いた血と汗の結晶を右から左に流すだけだから懐が痛まない。
額が少なければ「献金が少なければ地獄に落ちる」ともっともっと信者を脅迫すればよい。
そうして片方では自民党新人議員に「選挙協力(=贈賄)はいくらでもする」と声を掛けていたという。
カネというものを受け取るような政党だからチョロいものだ、カネの流れに乗じて日本の政権に取り入れる。
自民党がカネを欲すれば欲するほど望ましい。信者をどんどんと増やし、彼らからカネを巻き上げて自由に活動ができるほうがよほどボロ儲けできる。
文鮮明が作った教義は恐ろしく巧妙だし、いくらでも洗脳すれば、献金の原資なんて日本人の懐からいくらでも搾り取ればいい。
考えれば日本の政府や公権力に口出しさせないための献金なんてお安いもの ――。
文鮮明氏がつくった統一教会の教義(統一原理)では、サタンと姦淫したエバにより人類は堕落したとしています。
そして韓国をアダム国、日本をエバ国と規定し、日本はアダム国である韓国への贖罪が必要とされると説いています。
そのため多額の資金獲得と韓国本部への送金が、日本の統一教会の使命とされました。
こうした中で資金獲得のために詐欺まがいの“霊感商法”が生み出され、大きな社会問題が引き起こされました。
統一教会からすると朝鮮が長く日本によって侵略されてきたという事実からの憎しみもあったことでしょう。
献金をさせること、そして日本の政治に食い込んでいくことで「日本を虐げる」征服欲を満たし、少なくとも集金活動の妨害をされないよう日本の与党政権をコントロールする。
代々の総理大臣まで巻き込んで自民党にあれだけ食い込むことができるのですから。やがては日本から国富を巻き上げ、いずれは日本を陰で支配したいと妄想していてもおかしくない。いや、実質的に「すでに統一教会は日本を属国にした」と考えていてもおかしくないでしょう。
そんな外国のカルトにズブズブの自民党がよくもまあ「日本を取り戻す」なんて恥も外聞もなく政党の標語にし、「愛国」や「保守」を標榜するものだと思うし、これほど国民を馬鹿にしたことはないでしょう。
関行男海軍中佐のご地元の政治屋にみる「言行不一致」の絶望
「現場力」「確かな実績」を掲げるポスター(本人公式Twitterより)
2024.10.26
「渓産(省)」だなんて、経歴もまともに書けなければアルバイトですら採用されないでしょう。そんな厳しい世の中に自民党が追い込んだのですが。そしてヤクザの師弟関係を想起させる下品な表現。「現場力」「確かな実績」を謳うポスターとも矛盾しています。
厳粛な慰霊の場で他党批判を延々繰り広げた過去とも重なり、この人の「がさつさ、無神経さ」がよく出ていると思います。
統一教会との接点も疑われる中、このような人物を愛媛県民は適任として国会議員にするのでしょうか?各戸配布チラシ, 井原たくみ後援会事務所,
2026年1月地元で配布されていたものの提供を受けました
こういう政党とこれに与する政党までいて、常に過半数を狙う。不透明な政治資金(裏金)や旧統一教会との接点が指摘される議員のリストが公表されました。
その中に、例えば関行男海軍中佐の故郷・四国を選挙区とする国会議員の名前があがっていました。
忘れられないのが、数年前の関行男海軍中佐のご慰霊祭に初めて行ったのですが、そのとき来賓としてやってきたときのことです。自衛隊幹部なども招かれた厳粛なご慰霊の場で、ご戦歿された方々に対して暖かいことばを手向けることもなく、長時間マイクを離さないで延々と他党批判を繰り広げていたことが忘れられません。
特に他党支持者で、ただただまごころから関行男海軍中佐や敷島隊の隊員さん方の死を悼み、ご慰霊祭に参列された方々がどう思われたでしょうか。
慰霊祭の主催団体自体が自民党とどういう関係かはわからないけれど、わたしもこのような場でこのような演説を聞かされようとは思いもしなかったし、その内容が相当に激しく長時間だったことから「もう2度と関行男海軍中佐のご慰霊祭には来ない」と決心された方もいるのでは、と心配するほどでした。
そして何よりも「ご慰霊」の場なのです。場をわきまえることもできない、稚拙で無神経な人間だと思っていたら、一方でほかの自民党議員と同じように統一教会の賄賂に集る蟻の一匹だったとは。
統一教会から得た金額も自民の政治屋たちはばらばらだけれど、金額が少なければよいという性質のカネなのか。
金を受け取りながら何もしないわけにはいかないでしょうし、国会議員として歳費をいただいて、全力で選挙区民のために働かねばならぬ時間の一部が少なくともカネの授受交渉で割かれているでしょう。こういった意味では自民党がかつてはなかった「政党助成金」を創設して血税をすする道をつけながら、方や「献金授受」までする銭ゲバ状態。
しかも外国のカルト宗教団体からも喜んでいただきます、だなんて節操すらない。存在自体が国民全体に対する裏切りではないか、とさえ思えるのです。
この男は裏で統一教会のために何をしたのか分からないし公言することはないだろうけれど、ポスターには「現場力」や「国政を託せる確かな実績」なんて言葉が躍っている。愛媛の人たちは次回「国政を託せる」と判断するのでしょうか。
「皆さまのお声を国政に反映できる」とあるけれど、国民の声を国政に反映させるために選挙制度があり、国会議員を地域ごとに選出することになっているのだから「当たり前」のことで、特段ポスターに書いてまで訴える内容でもない。
そもそもこの人はその地域の本当に深刻な問題を拾い上げることができていないから、意味のないことしか書けないのではないだろうか、とか思うのです。
四国中央と名付けられたまちの市民は困っていないのか
実際、この人が市長をやった四国中央と言うまちはもともと宇摩郡と言う地域で、中心は旧川之江市と旧伊予三島市です。合併にあたって歴史があって音の響きも美しい「宇摩市」がなりゆきでも自然で良かったと思いますし、市名を決める市民アンケートの結果でも上位にあったのですが、合併協議当時の市長が結果を無視して「四国中央市」と断行して名付けられました。
道州制で四国の中心になりたい、高速道路が四国各県庁所在地へ分岐するからという理由が後付けに見える、政治的野心の塊のような地名です。四国の中央という地名は却って他県の人にとってどこにあるのか分かりにくいでしょう。位置的には愛媛県の最東端になります。
道路標識では通常「松山 〇km」と表示されます。四国中央だとどう表示されているか。私が見た限り「四国中央 〇km」というのは見たことがなく、「四国中央市 〇km」と表示されることがほとんど。これは「四国中央」という単語が一般名詞寄りで、固有名詞としての力がないからです。地名としては失格です。
この四国中央へ高速道路で香川からやってくると、空気のにおいだけで「愛媛に着いた」とわかるぐらい鼻の曲がるような生臭い悪臭が立ち込めています(で窓を閉め、エアコンを内気循環にする)。
市内の排水路には鮮やかな色のついた排水が流され、見上げればたくさんの煙突から白煙がもうもうと昼夜を問わず噴出しています。製紙工場が林立しているのです。
四国中央市の沖合の工業埋立地がどれほど広いか、1967年測量・1969年発行(左)と、2025年現在(右)の国土地理院地図で比較します。
村墓地は人里離れたところに置かれるのが通例でした。
松柏村の村松大師堂(地図の赤丸)もかつては燧灘・讃岐街道に面し、街道沿いには防風林として松が植えられた風光明媚なところであったことが地図からも読み取れます。
谷 謙二 時系列地形図閲覧サイト「今昔マップ on the webにより作成しました
意識してティッシュペーパーの箱の裏側や、封筒、多くの紙製品の製造者の所在を見ると「四国中央市」となっているのに気が付きます。県の税収も四国中央市が稼ぎ頭です。市内には住宅街に入り込むように工場が林立して、風向きによってはその場にいるのが耐えられないぐらいなのですが、製紙原料(排紙や木材)を紙にするために、化学薬品で溶かす臭いだと聞きました。その排煙や排水の無臭化・無害化が不十分ということでしょう。
わたしが訊ねた地元の人は口をそろえて「昔よりましになった」と納得しているのが不思議でならないのですが、雇われている会社のことを悪く言うことはできないでしょう。
ところが、うろ覚えで申し訳ないのですが、同じように製紙業で成り立っているまちではもっと厳しい環境基準をひいているため、ここまで悪臭がひどくない、というのもどこかで読んだことがあります。
関行男海軍中佐のご墓所も、もともと海に面した美しい海岸であったことは過去の地図で分かりますが、「新産業都市」構想に伊予三島市が手をあげて、よりにもよってご墓所の沖に広大な製紙工場のための土地が作られました。
ご墓所と工場の間には「干渉緑地帯」が設けられているが、うっそうとした雑木で、ブヨや藪蚊、ゴキブリが湧く。クリークといっていいような汚い排水路は水は淀んで、悪臭がたちこめている。
あまりに色鮮やかな排水が緑、次に赤と噴出していて、見かねて市に連絡したら、取水でもするのかとおもいきや、ずいぶん経って市の名前がある軽四がやってきて、職員は下車して状況写真を撮影するわけでもなく、そのまま通過していっただけ。
何ら事態も改善せず、呼吸器疾患原因で死ぬ市民は県内他市よりも多いことは、市の国民健康保険が統計を取っていて、詳細に知っているべき立場だったはず。名だたる製紙企業から紙おむつを受け取り、子供のいる家庭にタダで配っているのは口封じのためでしょうか。
政治屋だからこういった「利害調整」で解決したつもりなのでしょうか。あるいはこれだけの異臭が東予地方にある。市長で解決できなければ国政で解決するしかない、と考えないのだろうか。
24時間操業の工場。立ち込める異臭から逃れられないまちで、人生を送らざるを得ない市民を不憫に思わないのか。市民はその中懸命に働き税を納めているが、それよりも税収の大きい工場経営者の声のほうが大切なのだろうか。市長まで経験したこの男はどう考えているのだろう。
以下の統計では、四国中央市の「平均自立期間(0歳の人が要介護2の状態になるまでの期間)」が男女とも同人口規模市と比較して1年も短いことが集約されています。市長でできない「やるべきこと」をするために国政に打って出て、ひたすら地元民の苦しみ ―― 特に四国中央なら公害問題が一番だと思うけれども ―― そのために寄り添って仕事をしてきたのか。ただただ名誉と歳費と多額の舞い込むカネ目当てなのか。四国中央で恐るべきほど政治家として立派な実績を上げておれば、本来別選挙区の地域にまで乗り込んで事務所を作らなくても、その風評でよその選挙区民も進んで投票してくれると思うのですが、甘いでしょうか。
平成25年から平成29年までの累積疾病別死亡者数(図表3-1-2-1・図表3-1-2-2)をみると、男性の 死因第1位は「心不全」、第2位は「気管、気管支及び肺の悪性新生物」、第3位は「肺炎」となっ ている。
女性の死因第1位は「心不全」、第2位は「肺炎」、第3位は「老衰」となっている。
国・県と死亡状況を比較するため年齢調整を行った標準化死亡比(SMR)を求めると、男性で は、「心不全」(218.1)「不慮の事故」(133.0)「腎不全」(120.0)が高くなっている。女性では、 「心不全」(146.3)「不慮の事故」(115.3)「気管、気管支及び肺の悪性新生物」(107.9)が高く なっている。
これほどの現実を放置してきた人物が、党の中央からたった1回選挙を見送りさせられただけで「禊は終わりで信任を得た」ことにして次の選挙に出ようとする図々しさ。
「国政を託せる」「確かな実績」双方の言葉の、日本語の意味が分かっているのかと思うような言行不一致。
「皆さまのお声を国政に反映できるのは私井原たくみしかいません。」という選民意識。
こんなことを平気で書けるぐらい恥を知らないのか、と思うのです。
これまでしてまた議員になりたいということは、それだけ血税をすする立場に旨味があるということでしょうか。
国会議員は年間4000万円の血税からの歳費、闇の会計で何千万、何億ものカネを「パーティ」で集め、その法的なキセイ、通常国民向けは「規制法」だろうけれど、政治屋は「規正法」なんて法律のタイトルすら激甘。裏金もガッポリ、周りの人間は先生先生と持ち上げてくれるし、笑いが止まらない。
こんな権力欲にまみれた人物ばかりが暗躍できる国政に絶望しかない。
そして、禊ということで総選挙をして、統一教会と自民党の関係をうやむやにしようとする高市。着々と戦争の準備までおおっぴらにやる、こんな政治に未来はあるのか。だからなおさら選挙に行かねばならない、と思うのです。
他党も宗教分離を無視した存在の政党や、そんな政党と引っ付いたり離れたりする政党、共産党すらいつの間にか信念がなくなり過去ろくな政治をしていない天皇の体制すら容認する、と許せないところだらけなのですが、選挙に行かないのも、わざわざ行きながら「適任候補なし」と白票を入れるのも、何の意味もありません。
白票は「白票」という区分、完全に自分の意に適う適任者がいないから好きな人物の名前でも書いておこう、だったら「他事記載」という区分棚に仕分けられて、選挙管理委員会に報告するためだけにその数を数えておしまい。現在の政治に反対する意味で白票や他事記載するというのは、投票そのものの意味がないどころか、すべて悪政に加担すること。このような国民を大切にしない政治を続けてよい、とお墨付きを与えることにしかならないからです。
わたしもそうなのですが、全部の項目について自分が思うとおりの政党はないはず。そうすると「入れるところがない」では今までの政治の思う壺。では、どうすればよいのか。「国政でなければできないこと」について、自分が「絶対譲れないこと」をひとつふたつ考え、選挙公報や報道で真摯に答えている政党に表を入れるしかありません。そして、地方政治でもできる内容であれば、国政と違う政党に入れればいいのです。
恋愛にしろ100%好きということはまれで、ちょっとは気にかかるところがあったりするでしょう。政治は赤の他人がすること、それこそ「完璧」にあなたに合う政党はありません。自民党ですら内部でいろいろ派閥があるのがその証拠ではないですか。
日本の政治というクルマに強制的に国民は乗せられています。よく申し上げておきます。アクセルだけのクルマは死にます。少ない数でもブレーキを踏む政党がいてはじめて、「安全」とは言えないけれど、暴走できないクルマになるのです。特に現在。アクセルが強すぎます。方向転換もできず曲がることもできない暴走状態に思っています。曲がれば転覆しそう。ここは、主義主張を超えて、できればよく効くブレーキを選びたいし、皆様にもお願いしたいと思います。
物言わぬ墓標が告発する「命の重み」―― 権力を監視し続ける理由
現代の政治家たちが、言葉のまやかしで自らの非を覆い隠し、国民の健康や生活を「数字」や「利害」としてしか扱わない姿。その冷酷な視線の先にある結末を、私は各地の古い墓地で見続けてきました。
当時は税を納める者しか投票ができず、代議士にも選ばれない。貴族院があり階級制であって、睦仁や裕仁といった皇統に与する者たちと、納税ができるほどの資産力がある、カネにうごめくような人間ばかりが政権を牛耳っていました。
帝国議会の構成と選出条件(明治〜戦前)
この項目はAI (Gemini) の自動生成によるまとめです
1. 議会の構成
帝国議会は、天皇を補佐する立法機関として、以下の2つの議院で成り立っていました。国民の代表である衆議院に対し、選挙を経ない貴族院が同等の権限を持っていたのが特徴です。
議院名 特徴 議員の選出方法 貴族院 天皇を支える「守旧的」な議院 皇族・華族・天皇による任命(選挙なし) 衆議院 国民の意思を反映する「民選」の議院 有権者による直接選挙 2. 衆議院:投票・立候補の条件(変遷)
当初、選挙権は「多額の国税を納める男子」に限定されており、政治は一部の富裕層のものでした。
年代 選挙権(投票できる条件) 有権者の割合 1890年〜
(明治23年)直接国税 15円以上 納付
(満25歳以上の男子)全人口の約 1.1% 1900年〜
(明治33年)直接国税 10円以上 納付 全人口の約 2.2% 1919年〜
(大正8年)直接国税 3円以上 納付 全人口の約 5.5% 1925年〜
(大正14年)納税条件の撤廃(普通選挙法)
(満25歳以上の男子全員)全人口の約 20.1% (備考) 被選挙権(立候補):満30歳以上の男子(納税条件は上記に準ずる) 3. 貴族院:議員の資格(非選挙)
選挙を通じない特権階級による構成です。多額納税者議員などは地主層の利権を代表していました。
資格区分 対象者と選出条件 任期 皇族議員 満18歳以上の皇族男子 終身 華族議員 公爵・侯爵:満25歳以上
伯・子・男爵:同爵者による互選終身
(互選は7年)勅選議員 国家への功労、または学識者の中から天皇が任命 終身 多額納税者議員 各府県の多額納税者(地主・商人)の中から互選 7年 帝国学士院会員 学士院会員(学問の功労者)の中から互選 7年 4. 時代背景と統制
制限選挙の本質 初期の納税15円は、米約300kg分に相当。議会は庶民の苦しみよりも、資本家や地主の利害を調整する場であったと言えます。 飴と鞭の政策 1925年の普通選挙実現と同時に「治安維持法」を制定。国民に選挙権を与える代わりに、国家の根幹を批判する思想を徹底的に弾圧する体制を整えました。
中沢啓治 はだしのゲン(mayumi様のTweet)
2025年1月17日
お母さん方の意思も反映できない制度の中で、十分にカネを持ちながらさらにカネに集り、権力欲と自分の商売の拡大をもくろむような強欲のかたまりのような人間ばかりが巣食う政治だったことがわかります。
そして治安維持法もスパイ防止法も無害そうな法律名をつけながら、取り締まる相手は他国のスパイではないのです。日本人が取り締まられる、つまりは国民です。治安を乱す「虞がある」。スパイの「虞がある」。権力が自分を失脚させようと恐れる人間すべてに「虞がある」とレッテルを貼り、次々と捕まえては根拠ない罪状をでっち上げ、拘置所などで拷問しては殺していきました。このような政治が行き着く先がどこになるのか。
睦仁や裕仁、上級国民という権力が思うがまま暴走できる体制を維持し、それを制止する仕掛けがなく、皇統や一部の上級国民が「大多数の庶民をほしいがまま、煮るも焼くも好きにしていい」政治が国民の生命までも好きに利用した結果、この国に一体何が残されたのか。
それは、全国各地に静かに、しかし無数に点在する、かつての若者たちの墓標です。
ご戦歿された方々のお墓に方々行くのですが、いつもいつも思うのは、戦争で亡くなられた軍人さん方兵隊さん方の多さです。
戦後一定の期間を経てから建立されたり、建て替えで子孫と合祀されたりすると、一般的な四角柱の墓標になるので一見見分けがつかないのですが、それでも多くの墓地で四角柱で先がとがった(四角錘となっている)墓標を見かけられたことがあるのではないでしょうか。
これは、過去に建てられた、軍人さん方兵隊さん方の墓標です。当初気が付かなかったのですが、青山霊園で個人の先祖代々のお墓に同じデザインのものを見かけました。ご先祖に軍人さん方兵隊さん方が関わっているのかどうかはわかりませんが、明治に亡くなられた方々の墓標は現代の墓標よりもずっとずっと小さく、先端も円弧を描いているものが多い。このことを考え合わせると、軍人さん方兵隊さん方の墓標の四角錘のデザインはどれほど先端的でしょうか。
そして特徴的なデザインの理由の目的は、ただただ彼らの死に「特別な意味がある」象徴であるということであろうかと思います。そのデザインがかっこいいから、と平民が似せてくるということは彼らに対して失礼なことであると個人的には思いますが、そういうことも伝わらない世の中になっているということでもあるでしょう。
人間の死を象徴する、最後の最後の墓標ですら、現代においては軍人さん方兵隊さん方に敬意がない世の中になってしまった、彼らの墓標かどうかすら見分けられなくなっている時代になった、というのが実感です。
失礼がないように、そっと側面を見て頂ければ、いついつどこどこでどういう戦いに参加され、どのような経過を経ていついつ戦死を遂げられた、と言う戦歴、刻み込まれたご戦歿地も聞いたことのないような地名で、「こんな若さで…」と衝撃を受けることのほうが多いです。
どれだけご苦労を積まれたか、手に取るようにぎっしりと書かれている方もいらっしゃる一方、いついつどこどこでご戦歿された、とだけ刻まれている方。経験を充分に積まれる前に過酷な戦場へ送られたり、あるいは虐め(虐待)の対象になったかで無謀な作戦に放り込まれたりしたのでしょうか。
墓標の内容だけでは人間関係までは分かりません。そして生きた人間に生きざまが伝わらない以上、公式記録に頼らざるを得ず、そっけない文章にならざるを得ないでしょう。
しかし、どの軍人さん方兵隊さん方にもはっきり言えるのは、壮絶な死を迎えられているということ、苦しい死を迎えられたということです。
刻まれているご戦歿地が日本からはるかはるか遠くの孤島だったり、場所が書かれていても漠然としていて、よく分からないようなところの方も少なくありません。
死んだらどうなるか。わたしの同居人は「消えてなくなってしまうのではないか」と生前言っていました。わたしは死んでも霊として生きていらっしゃると考えていたことから、特別攻撃隊で亡くなられた方々が苦しんでいらっしゃらないかどうかと、気になって仕方がありませんでした。
「どうして自分たちはこんなに苦しく死ななければならなかったのか」
「どうして現代人は自分たちに関心を寄せてくれないのか」
もし、そういう思いが募ればご成仏もできない、そうなっていたら、とずっとずっと考えてきました。
こういう考えを巡らすようになった端緒が、先ほどお話しした映画『永遠の0』でした。ただただかっこいい男が最後特別攻撃で戦死する寸前で画が止まり、そして人間が一線を越えるのです。生と死の境界線を越えて人間が霊になる、ということ。軽薄な恋愛歌が得意の歌手が歌う中身のないエンディング曲には閉口しましたが、それでも自分にとって15回も映画館へ見に行き、さらにはリバイバルや公民館を会場とした上映まで観に行ったのは生まれて初めてのことでした。
それが特別攻撃隊の隊員さん方のことを知るために、鹿屋や知覧、各地の護國神社や戦争遺跡を見て回ることにつながり、そして一番最後にたどり着いたのが関行男海軍中佐です。
関行男海軍中佐のことは名前は知っていたけれども、意識し始めた一番の端緒は、関行男海軍中佐のご母堂様のご苦労です。自分の母は、戦時中に生まれています。貧乏な家庭で、母親が苦労をして育てて頂いたので、人ごとのように思えなかったのです。
そして考え至ったことを伝えてみたいと、思い切って関行男記念館を開設しました。
どの軍人さん方兵隊さん方も戦争で死ぬるということは、ご本人にもご母堂様ご家族様にとっても辛いことであるけれども、味方である軍隊が味方の軍人を護らず、「作戦だ」と密室で圧迫面接を強要し、挙げ句「自分で志願した」とされて、殺された軍人さん方兵隊さん方はより過酷であった、と思いを致さずにはおられません。
自分は関行男海軍中佐から、いろいろなところへ誘われます。方々へ行って、ご慰霊を続けています。ただただ線香とお酒と、自分で淹れたコーヒーを持参して。
ただただ魂のご安寧を申し上げることしかできないけれど、苦しく亡くなった、かつて人間でいらっしゃったあまたの御霊に、ほんの少しでも喜んでいただけたらなあと思うのです。
そして、関行男海軍中佐とご母堂様の人生を考えるなかで、生命を軽んじるような皇統、とりわけ裕仁が政治の実権を握り、国民の生命を握りつぶしていく地獄のような時代を、関行男海軍中佐がいらっしゃらなかったならば、そして数多の軍人さん方兵隊さん方が我々に代わってその時代を引き受けてくださらなかったら、自分は到底生まれてこられなかったと確信しています。
どうか、関行男記念館をきっかけに、軍人さん方兵隊さん方は、困難な時代を自分たちのかわりに引き受けてくださった方々なのだ、という視点で軍人さん方兵隊さん方の墓標をみるようになっていただければ、と切に願います。特に、有名でもなく、ただただ一線で亡くなられた兵隊さん方に。彼らがなしたことに寄り添ってあげてほしいのです。
彼らの生命の輝きが、今の日本を照らし続けているのです。
そして、苦しく亡くなられた方々は、軍人さん方兵隊さん方が突出はしているけれども、それだけではありません。
原子爆弾の被害に遭われた方々、満蒙開拓、残留孤児、遭難事故、薬害・公害病、強制労働で亡くなられた朝鮮人…、
そして忘れてはならないのは、この国の皇統が戦争を仕掛けたばかりに、自国民はおろか、「敵」とされた周りの国の国民にも苦難の人生を強要したのです。
民家に押し入り、水がめに隠れていた中国人を引きずり出した。上官に「桑原やれ」と命じられたが弾が出ない。ほっとしていたら、「弾が出ないなら銃剣で刺せ」と。その時の手の感触が、書いてありました。
強烈だったのは、中国軍のトーチカ(コンクリート製防御用陣地)を攻撃した時の体験談でした。山の上にあるトーチカに向けて攻め上っていくのですが、上からはバンバン撃たれる。弾も水も補給がないまま攻撃を続け、味方もほとんど死んでしまった。ようやく相手の陣地に飛び込んだら、中国兵が8人か10人か、死んでいたそうです。足を鉄の鎖につながれて逃げられない状態で。
その光景を見た父は「愕然とした」と記していました。「中国兵も日本兵も、2等兵は大変や」というような同情を、従軍記に書き残しているわけです。そんなことが次から次と、つづられていました。
戦争がなければお互いに顔を合わすはずもなかった他国の国民と、「生命の奪い合い」をすることを強要される。このことの苦しさが先ほどの引用文のほんの一言に現れているのです。「ほっとしていたら」、と。
戦争では実権がある人間の代理として庶民が駒に使われ、旗振り役は死なないし、最高責任者は高みの見物。
国民に嘆きや悲しみが相当に深刻になり、若者が相当数世の中から消え、それでもしつこく「旗振り役で生命が安泰な者」、「他人を『庶民』と言い、その人生を下敷きにできる者」がいくら負け戦でもあがくだけあがく。
死体を累々と積み上げ積み上げ、にっちもさっちもいかなくなってようやく終わる。
そして次は戦後。裕仁ですら死んだ過去の血統のほうが、同時代の自分を養ってくださる国民よりもずっとずっと大切で、いかに責任を回避してテンノーの座を保持するか、いかにその座をつつがなく維持するため国民を懐柔するかに余念がない。
皇族の「盲目的」信者が増えるように、定期的に息のかかった人間を庶民の中に放出する「叙勲」や、災害の時に慈しみのある映像を報道させ、撮影が終わると東京都心の森付き数戸建てにいそいそと帰っていく。国会議員も最高裁判所長官も、重要な役職はすべて皇統の息がかかっているから、ついには共産党まで懐柔させられてしまった。
天皇による指名・任命の比較(戦前と現代)
この項目はAI (Gemini) の自動生成によるまとめです
1. 帝国議会における「任命」と権限(戦前)
戦前の天皇は「統治権の総攬者」であり、議会構成員を直接選ぶ、あるいは形式的な任命を通じて強い影響力を保持していました。特に貴族院は、民意から独立した「天皇の諮問機関」としての性格が強かったと言えます。
対象 天皇の関与・任命権の実態 貴族院議員 皇族・華族・勅選議員(功労者)・多額納税者議員などを天皇が任命。実質的に政府や天皇の意向が反映されました。 議長・副議長 衆議院が選出した3名の候補者の中から、天皇が1名を指名・任命する特権を持っていました。 内閣総理大臣 議会とは無関係に、元老らの推薦に基づき天皇が大命を降下(任命)。議会の多数派が選ばれるとは限りませんでした。 軍の統帥権 議会や内閣の関与を受けず、天皇が直接軍を指揮する(統帥権の独立)根拠となりました。 2. 国会における「任命」と象徴としての役割(現在)
現在の天皇は、憲法に定める「国事に関する行為」のみを行い、国政に関する権能を有しません。任命行為はすべて内閣の助言と承認に基づく「形式的・儀礼的」なものに限定されています。
対象 天皇の関与(国事行為) 内閣総理大臣 国会の指名に基づき、天皇が任命します。(憲法第6条) 最高裁判所長官 内閣の指名に基づき、天皇が任命します。(憲法第6条) 国務大臣等 内閣総理大臣による任命を、天皇が認証します(官記に印を捺す行為)。 国会の召集 内閣の決定に基づき、天皇が国会を召集します。戦前のような「解散権の濫用」は不可能です。 3. 権力構造の決定的な違い
項目 戦前(大日本帝国憲法) 現在(日本国憲法) 主権の所在 天皇(天皇主権) 国民(国民主権) 天皇の立場 神聖不可侵の統治者 日本国および日本国民統合の象徴 任命の性質 自らの意思、または側近の推薦による「実質的権限」 憲法に縛られた「形式的・儀礼的な行為」
公務員はじめ公職に就く者たちはすべて「日本国憲法を擁護し」と宣誓させられて、そういうものなんだと国民に異議を唱えさせず、国民の頭上の重しを意識させない国家運営が続いていく。
多額の血税を、ただ書類にハンを押すだけのような仕事の人間に湯水のように与え、国民は、物価が上がり円の価値は下がって、主食のコメすらままならぬ汲汲とした暮らしの中で右往左往させられている。
国防もアメリカに委託し、領空すら自由に飛べない、沖縄には基地がのさばり、せせこましい空間に県民がぎゅうぎゅうに押し込まれている。米軍基地では、ゆったりとしたアメリカの居住空間を再現し、何か月もの派兵でもアメリカ兵はエアコンをつけっぱなしで沖縄を離れるという。ありとあらゆるものを「思いやり」とは到底思えない以上の血税で支払わせられるから気にも留めない。
こういったことを異常と思えないのはどうしてでしょうか。
どのような小国とて、国の代表者は国民が決め、最上位に君臨してあらゆることを民意を気にしながら進めていく。国は自分で軍備を持ち、足りない部分は周りの国と結束して事に当たろうとし、必要以上に他国に依存はしない。従属にならないように距離を置きながら、いかに「戦争がない状態」を続けるか、模索をつづけている。
そして何より民意に反する代表者はNOを突き付けられて新しい代表者に交代させられる ――、こんな当たり前のことがどうしてできないのでしょうか。
総理大臣が「閣議決定」と国会の審議もさせず大事なことを知らせないで次々と決めていき、その代表たる総理大臣を直接選挙で選ぶことはできない。果たして本当にこの国の主権は国民にあるのでしょうか。
わたしは学芸員の資格を有しておりますが、零戦の性能だとか、軍の戦場での展開などへの興味関心はあまりありません。
この記念館は、史料はあくまで参考として、そこから導き出される人間的な側面に光を当てたいと思って記しています。意見や感想にあたる部分はすべてわたしの私見であることは、はじめにお断りしておきたいと思います。
ただ、ただただ、苦しく亡くなった方々の、人間の、気持ちに寄り添いたい、そう思うだけなのです。
自分にとって、このような視野を開かせてくださったのが、関行男海軍中佐です。 ですから、この関行男記念館には、関行男海軍中佐とは一見関係のないようなことも書き留めていきます。
平和な世の中は、地上に「絶対に」ありません。過去の歴史が語っているのです。それは、またいつ戦争がない状態が突然終焉を迎えてもおかしくない、ということです。ウクライナの戦争でも、いつの時代、どこの国の戦争でも、「すぐ終わる」と気分を盛り上げて、何の恨みもない庶民同士が、泥沼の殺し合いをさせられるのです。
為政者は戦争をするもの、と決めてかかって、戦争がはじまると真っ先に徴兵させられる身こそが「権力を監視」し続けなければなりません。とにかく「戦争のない状態」を1日でも長く延ばす努力をするしかないのだ、と腹をくくらねば、戦場へ送られる段取りをされてからでは遅すぎるのです。
そしてこの国に「資源がない」なんてわかりきったこと、周りの国と仲良くしてお互いに必要なものは融通しあうしかない世界。この国の支配者がよその国から奪うという決断をして、みすみす「物」のために「『庶民の』いのちが奪われる」なんて愚行は、決してふたたび許してはいけません。
なにか読む方の心に触れるものがあれば、そして、日本人が、外国人がとザルのようなくくりで差別したり偏見を持ったりすることなく、
ひとりひとり人間として相手を見て、現世という過酷な世界を生きていく、そのひとりひとりの生命をお互いに大切に思い、
そして、過去の苦しい時代を引き受けてくださった、あまたの霊となられた方々に、感謝と思いをよせていただければ、うれしく思います。
あわせて、皇統や為政者、取り巻きたちが国民の生命をほしいがままに蹂躙し、特にその結果戦争で殺されたあまたの御霊、原子爆弾により殺戮された方々、そして生き延びても筆舌にしがたい外面、内面の辛酸をなめさせられたうえで生を終えられたあまたの国内外の御霊に心から哀悼の気持ちと、その短いご生涯によって「ただ生きること」すら極めて困難過酷な時代を引き受けてくださり、後の戦争のない状態として引き継いでくださったことに心から感謝します。
この記念館は、建物や実物資料の展示がない、オンラインミュージアムです。
関行男海軍中佐が好きで好きでたまらない学芸員が開設しております。
24時間開館しておりますので、いつでも、どうぞごゆっくりご覧になってください。
長文を最後までお読みいただき、ありがとうございました。
奇しくも戦後80年となる節目の年、2025年の海軍記念日に関行男記念館は開設されました
関行男記念館 学芸員
表記について
関行男海軍中佐の姓「関」の表記について
関行男海軍中佐の姓「関」は「關」が正当です。
しかしながら当館では読みやすさを考慮して「関」で表記することといたしました。
「関」は従来「關」を手書きで簡略に書くために、生活の中で使われてきた字形です。
ところが「漢字の煩雑さが経済発展の足を引っ張る」とされて、特に筆画の多い文字を中心に、略字を公式に認める(=社会で一般的に使う文字として格上げする)動きがでます。
これが1946年の「当用漢字」の告示につながり、現在の常用漢字に引き継がれていきます。
「特攻」の表記について
「特攻」という単語を脳の足りない馬鹿が多用し、事の大小を問わず「後先考えず突撃すること」の代名詞にされてしまいました。
特別攻撃がどれだけ大変だったかなんて伝わらず、どれほど敬意がないことかと思います。
このため、当館ではできる限り「特別攻撃」と表記しています。あわせて、「特別攻撃隊員」という言い方も、兵器の名称のように聞こえ人間らしさを感じないため、なるべく「特別攻撃隊の隊員さん方」と表記しています。
ただし例外として、名詞化された表記(「航空特攻」など)はそのまま表記しています。
「支那」「朝鮮」の表記について
この国が中国大陸や朝鮮半島に攻め込んだばかりに、大陸での二大党派の争いが複雑化して「中華民国」と「中華人民共和国」となり、半島では太平洋戦争後にイデオロギーを背後にした代理戦争から「北朝鮮民主主義人民共和国」と「大韓民国」とそれぞれ分断されました。
今もお互いがお互いを(公式には)正統と認めず、今に至るまで複雑な関係のままとなっています。朝鮮半島・韓半島両方の呼び方もあります。個人レベルで国名をどう表記するか考えてみても悩ましく、あえて包含した表現が必要な場合に支那、朝鮮を表記に使うことがありますが、差別的意図はありません。ご了承ください。

